mainichiwayang’s diary

ジャワでダランとガムラン修行中の大学院生です:)

レッスンのこと、わたしが外国人であるということ

またまた久しぶりになってしまいましたが、今回はわたしのレッスンの様子をちらっと。なぜなら最近気づいたことがあるからです。

 

わたしは留学先の大学で影絵芝居の人形遣い(ダラン)を勉強しているのですが、授業だけだととてもついていけないので(学生はみんなすでにできる人ばかりなので進むのがものすごく速い)定期的に、大学の先生に個人レッスンを受けています。レッスンでは、2時間半ほど人形操作や、ダランの歌、合図の出し方などを先生が教えてくださいます。先生が人形を使って横でお手本を示し、それをわたしが真似し、覚えていくことでレッスンが進みます。慣れてくると、先生が太鼓やグンデルに入ったりして音楽との関係の説明も受けます。学生と違って、経験が少ないので習得するまでにはやはり少々時間がかかりますが、先生がわたしができるようになるまで根気よく懇切丁寧に教えてくださるので、ありがたいです。時にはレッスンが3時間近くに及ぶことも。

 

レッスン自体は2年前から短期でジャワに行った時に集中して受けるというような形で続けてきたのですが、最近変わったなと思うことがあります。

 

一つは自分のことなのですが、先生の言っていることをよりスムーズに理解できるようになってきたことです。2年前、レッスンを始めた頃は、何言ってるかわからないけど、とりあえず先生の真似をする…というような状態でしたが、最近はここはどういうシーンで、動かす時のポイントは何で、さっき自分は何を間違えたのか、何が足りなかったのかなど、先生のインドネシア語の説明を理解して、それに従えるようになりました。最近は先生が隣にいなくても、わたしの後ろで人形の動かし方を説明をしただけで、その通りに動かせるようになってきました。

 

こういう変化があったこともあってか、最近先生も色々なことを説明してくださるようになりました。その中でも大きく変わったことは、以前よりも音楽との関係を詳しく教えてくださるようになったことです。人形は自由に動かしてよいわけではなく、人形の動きにはガムランの中の太鼓のリズムと関連した振り付けのようなものや、ゴングやその他重要な拍と関連があり、ダランにとって音楽との関連を理解することは不可欠なことです。先生は、最近以前にも増して音楽と動きの関係をより厳しく教えてくださるようになりました。これは、わたしがダランの実技を学ぶ中でいちばん知りたいことなので、とても嬉しいです。

 

少し話が逸れますが、最近考えていたことがあります。それは「わたしが外国人であるということ」です。

 

留学するということは、自動的に外国人が異文化の中で勉強をするということで、これはどこに行ったとしても、当たり前と言えば当たり前で、当然のことすぎて全く意識をしていませんでした、つい最近までは。

 

最近、折に触れてジャワの人たちと接する中で「ああ、彼らにとってわたしは外国人なんだ。」と感じさせられる機会が増えてきました。というか、ジャワに来た時から、そういうことはたくさんあったのかもしれないけれど、より以前より強く意識させられるようになったというか、彼らとわたしの間で、わたしというものについての認識についてギャップがあるなと思うことが増えてきました。

 

大学の授業で毎日顔を合わせる同じクラスの友人たちや、先生方とは、あいさつだけでなく、色々な話をするようになってきて、大分距離は縮まってきたと思っています。わたし自身は。

 

最近大学で試験があり、こんなことがありました。

 

ジャワ語の発音や、ワヤンの登場人物や語りの声の様式について学ぶ授業(caturという科目)があり、その時は試験について説明をしていました。現地の学生たちは、台本を一冊暗記し、当日指定されたところを演じてみせるというのが課題とされました。わたしにも試験が課され、わたしは暗記はしなくてもいいので、好きな場面を読むことになりました。さすがに、正直今のわたしの力では現地の学生と同じレベルで試験を受けるのは難しすぎるので、このような配慮はありがたいなと思いました。

ただ、その時、先生がわたしのために説明を全部英語でしてくださったことが、丁寧な対応なので、こちらもありがたいと思う一方、少し引っかかるところがありました。その前に先生が試験について説明していた内容は理解できていたので…(そのあと英語を聞いても内容は一致していました。)確かにインドネシア語がまだ難しい留学生も多いけれど、わたしがインドネシア語がわかることは、現地の学生も先生方も知っているはずなのに。

先生はそのあと英語で、「昔オーストラリアから来た学生がいてね、〇〇の近くに住んでいてね、ジャワ語もわかっていてね…」と続けました。

 

ああ、ジャワ語の壁か…。

 

毎日ジャワ語を聞くようになって、自分でも勉強を進めているので、特にngoko (敬語の体系の分類)は大分聞こえるようにになってきました。ただ、まだまだ道のりは遠いのが現状。

 

ジャワ語ができないと、やっぱりまだまだ先生にとってはお客さんに近いのかなぁと。

 

距離は縮まってきたけれど、ジャワ語があることで、ジャワの人たちとの間にまだ一枚壁があるのだと感じます。人々の中に入っていくのは、一筋縄ではいかないなと、頭ではわかっていたつもりでしたが、ようやくこういうことなのだと実感しました。まだまだ修行が足りないな。

 

そういえば、この前舞台でワヤンをやった時も「Dalang orang asing 」とプログラムに書かれていたなと。これは「外国人のダラン」という意味です。練習の時、わたしがあまりうまくできていない時も現地の学生たちは「もうとっても上手だね!」と褒めてくれたのですが、まだまだ多分自分の伝統芸能を外国の女の子がやっていることがすごいというニュアンスも含まれているのかなと思ったりしました。

 

距離を縮め、もっと深く知りたいと思う自分と、まだまだわたしをお客さんというか「外国人だから」と認識しているジャワの人たちとのギャップ。

 

こういうことがあって、最近一層意識して言葉を勉強するようになりました。その甲斐あって、ワヤンのレッスンがスムーズになってきたり、さっきグンデルの先生と宗教の話をしたりなど、少し込み入ったことも雑談できるようになったのは嬉しいことです。

 

そういう壁のようなものを感じる中、いちばんわたしに分け隔てなく接してくださるのが、レッスンに通っている、ワヤンの先生です。留学生は試験を受けなくていいことになってはいるので、わたしも初めはそのつもりでいたのですが、ある日大学で先生にお会いした時、「きみも実技試験を受けなさい。好きな場面を選んでいいから。」との指令があり、試験を受けることになりました。実際、好きな場面というよりかは先生の判断で、(それでも全然やったことがない)一番最初の場面を1月に試験で上演することに…。本番1ヶ月前を切っているのに、ゼロから初めてもなんとかなると考えてしまうあたりが、びっくりです。このあたりは日本人と認識が違うかなと思います。ですが、頑張ってマスターしようと思います。というわけで、最近はその準備に追われています。

 

しかも、「台本は暗記すること!」と言われてしまい、ジャワの学生と待遇は全く同じになったものの、語りが多い場面なので大変になってしまいました…。

でも、先生の対応は本当に嬉しく、ありがたいです。

 

特別扱いはちょっと悲しいけど、みんなと同じは嬉しくて、でも難しい…少しわがままかもしれませんが、そんなことを思っている最近です。

 

ジャワ語の壁はまだまだ厚いですが、まだ時間はあるので、少しずつ壁を取り払っていけたらいいなと。長期で暮らすということは、現地の人とより深く関わっていくことなので、距離感などうまく考えながら、より色々なことを彼らから学んでいけたらと思います。

 

最後にいくつか写真を。

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大学の実技の授業の教科書です。台本と人形操作の手順、ダランの歌の楽譜が載っています。


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お手本を見せてくださっている先生。いちばん最初のシーン。


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難しいからと、最初は先生が教えてくださらなかったのですが、ついに人形が馬に乗るシーンを習いました。


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ジャワのおじさまたちは鳥を飼うことにある種のステータスを感じているそうなのですが、先生の家も鳥だらけです。かわいい。

 

読んでくださってありがとうございます。

また書きます…💕

身の回りのこと① 〜仕立て屋さん編〜

最近は雨季らしくなってきて、夕方毎日のように雨が降るようになりました。雨が降るとちょっと面倒ではありますが、雨の後の涼しさはとても気持ちがいいです。

 

芸能のことを中心にブログを書いていますが、たまには生活の様子、身の回りのことについて書いてみたいと思います。今回は洋服を仕立てたことについて書いてみます。

 

洋服を仕立てるというと、日本では特別なイメージがあり、お値段も高かったりしますよね。一方、ジャワでは服を仕立てることはよくあることなのだそうで、日本のイメージからするととてもリーズナブルでより身近なことのようです。お祝い事など、重要なことがあると、新しい衣装を作るというのがジャワ流なのだそうです。ワヤンに行っても、演奏家や歌手がお揃いの衣装で上演に臨むのをよく見かけます。(こんな感じ↓)

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留学する前、今年の3月、ガムランの大先輩に仕立て屋さんを教えていただき、一度注文してみたことがありました。その時は、ちょうど一年前にミャンマーに行った時にヤンゴンで見つけた布をスカートとワンピースにしてもらいました。

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とても素敵な仕上がりですが、いつもは仕事が速いと評判のこの仕立て屋さん、滞在期間(2週間)のうちに仕上げてくれるという約束だったのに、結局日本に帰国する日になっても仕上がらなかったというハプニングもありました。(そういえば笑)なので、これを受け取れたのは実は9月に入ってからになってしまったのでした…。なんともジャワらしいエピソードですよね。

 

特に急ぎではなく、こちらでの生活も落ち着いてきたので、先週気分転換に好きな布を選びつつ、仕立て屋さんに服を注文してみることにしました。

 

まず、好きな布を探します。お店としては、一部のスーパーやデパートまた、布屋さんがたくさん並ぶ市場があるので、そこで気に入ったものを選びます。インドネシアにはバティックという臈纈染めがあり、普段から式典にいたるまで、バティックを着る機会がたくさんあります。柄もかわいいものが多いので、わたしはバティックを見るのが好きです。布屋さんに行くと、バティックは手書きのものからプリントまで種類が豊富で、見ているだけで楽しいです。ジャワを訪れる際には、ガムランや観光だけでなく、お気に入りのバティックを探すのもとてもおすすめです。

わたしは今回スーパーの布売り場で布を選びました。店員さんがハサミでスーッと布を切る技術が鮮やかだったので思わず感心してしまいました。ワンピースを作れる分の布を3種類買い、これで2000円弱。

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これを持って仕立て屋さんに行きます。わたしが行ったのは、おじさんが営んでいる街の小さな仕立て屋さんです。お店の中にはミシンが何台も並び、出来上がった服がたくさんハンガーにかかっています。

注文する時に、絵を描いてこんな感じと伝えるとその通りに作ってもらうことができます。その上で丈やサイズを測り、特定の部分を大きくしたりなど微調整も可能です。また、気に入った型の服を持って行くと、それと全く同じ型の服を作ってもらうこともできます。この仕立て屋さんには注文を記録したノートがあり、サイズや型の記録が残るので、2回め以降はよりスムーズに注文ができます。

 

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今回はいつできるかなとワクワク楽しみに待っていたら、1週間たたないうちに

「もうできたよ!」

と電話がありました。今回はいつもの仕事が速い仕立て屋さんに戻っていました…笑 頼めば自宅まで届けてくれるというのでとても親切です。その日は受け取れなかったので、次の日直接お店に取りに行きました。

できたのがこれ↓↓

 

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ワンピースとスカートを作りました。襟の形も好きにできるので、一つはシャツワンピースに、もう一つは丸襟にしてみました。緑の方はふわっとした袖に。新しい服はテンションを上げてくれます。

 

布代と仕立て代で4000円ちょっとだったので、日本で既成の服を一枚買うよりずっと安いんです。これで、好きな布と型を指定できるなんて、お洋服が大好きな私にはとてもありがたいことです。

 

大事な時はいい服を着ようと母が教えてくれました。なので、新しい服を着ると、背筋が伸びる気がします。気持ちまでしゃんとする気がします。昔から、ずっとそうです。だから、お洋服が好きです。

 

心配症なので考え過ぎて自分の首をしめてしまい、外の世界が怖くなったり、わたしは外からはふわっと生きているように見えるらしく、人に心ないことを言われることもあり、たまに他人と対するのが怖くなることもあったのですが(これは年齢を重ねるにつれ少なくなってきましたが…。)とりあえず、かわいい服を着ていれば、立っていられるというか。

服が好きなのは、純粋に好きだというのもあるけれど、わたしにとっては自信をもって外に出ていくため、自分を保つための、一つの手段なのかもしれません。言葉を変えれば、この世界でなんとか生きていくための武装というところでしょうか。だから、服を選ぶ時は慎重です。鬼吟味です。

 

新しい服を前に、なんとなく自分のことに目がいったので、少し書いてみました。

 

(なかなかワヤンが始まらないので、ワヤン会場でどばーっと書きました。相変わらずです。)

 

相変わらず服は大好きですが、少しずつ自分のことがわかっていくうちに、最近そんなに武装しなくても生きていけるのではないかとも思うようになりました。ワヤンと向き合いつつ、自分ともじっくり向き合う毎日です。

 

ではまた :)

Setuponan

最近なかなか更新できていませんでしたが、Setuponanという演奏会に出演する機会を得たので、そのことについて書こうと思います。

 

ジャワの暦のことはまだきちんと理解できていないのですが、これは35日に一度訪れる土曜日(Setu)のことだそうで、マンクヌガラン王宮では、その前日の金曜日にガムランの演奏会が、当日にはガムランと舞踊の上演が行われます。

 

マンクヌガラン王宮の東門を入ったところにある小さなプンドポでは週に二回、ガムランと舞踊の練習会が開かれています。先生ご夫妻の熱心なご指導のもと、舞踊、ガムラン共に初心者から経験の長い人まで、幅広い世代の人が参加していて、活気があり、素敵な機会です。色々な舞踊曲を生の舞踊と一緒に練習できる機会は本当に勉強になります。わたしはジャワに行くたび、こちらの練習会にはよくお世話になっていたのですが、前回書いたワヤンの上演のための練習が不定期に入り、留学を開始してからはあまり練習に参加できていませんでした。ここ二週間ほど、やっと毎回行けるようになってきたところのSetuponanでした。

 

というわけで、そこまで練習に行けていたわけではなかったので、今回の本番は当日の朝まではお客さんとして観に行く気満々でいたのですが。当日の朝、儀式曲を練習する別の練習に行って、帰りに先生方にご挨拶をしようとしたら、先生方が

「あなたも今日の夜の本番一緒に演奏しましょう。」

とおっしゃったのでした…。そのつもりはなかったのでとても驚き、あまり練習に行けていなかったので最初は断ろうとしたのですが、先生方の勢いにおされてそれはできず、サロンという鍵盤楽器で参加することになりました。他にも同じ楽器を演奏する人がいたのと、隣で先生が演奏したり合図をしてくださったことが幸いでした。

 

曲目はスリンピ・パンデロリSrimpi Pandheloriとクロノ・パンジKlono Panjiという雰囲気の異なる二つの舞踊でした。前者は王宮に伝わる女性四人の戦いの踊りで優美な雰囲気の中に緊張感が漂います。後者クロノはパンジ物語に登場する王の名前で、荒型の男性舞踊です。舞踊に関してはあまり知識がなく、詳しくはわからないのですが、この舞踊ではクロノと共に、優型の男女(パンジ王子とスカルタジ姫でしょうか…)が登場します。

 

この二曲を演奏するということだけは知らされていて、確かに前回の練習でも練習をしていたのですが、いざ、ドキドキしつつ待機していると、舞踊の人たちが登場していないにも関わらず、いきなり演奏が始まってしまったのです。一瞬焦りましたが、すぐにググルグヌンGugur Gunugという曲だと分かったので、演奏についていきました。その後も、打ち合わせなしにウィルジュンWilujengやグレヨンGleyongという曲も演奏して、やっとスリンピの演奏になったのでした。

 

本番の会場はいつも練習するプンドポだったのですが、私はここが大好きで、初めてジャワを訪れた時もここの音響が強く印象に残るほどで、思いがけずここで初めての本番を迎えて感慨深い思いがしました。特にスリンピは、わたしの中で日本にいた時に、とても出たかったのに出られなかった本番で演奏していた曲というイメージが強かったのですが、今回新しく楽しい思い出が刻まれることとなりました。夕方、プンドポの中に音が立ちのぼるのは非常に美しいものだなと改めて感じました。機会があれば、ガムランを演奏している人はぜひ、ジャワのプンドポでガムランを聴いてほしいなといつも思います。

 

また、隣で先生の息遣いを感じられたことも忘れられない経験になりました。先生は、ご高齢で手が思うように動かなくなってきているそうなのですが、そのような中でも、毎回熱心にご指導してくださっています。普段は演奏に加わることはなく、アドバイスをくださるだけなのですが、今回はわたしの隣で、一緒にサロンを演奏されました。曲全体ではなく、要所要所だけでしたが、先生の音は芯がしっかりとしていてよく響き、また音だけでなく身振りや息遣いにも楽隊を導く気迫を感じました。その絶妙な緊張感は、熟練した先生ならではのものだと思います。(言葉にすると何だか安っぽくなってしまう気がするのが歯がゆいです。)そういう気迫や息遣い、ジャワの音楽家同士のやりとりは今しか感じることのできないものなのだなと、ジャワの音楽家の近くにいられる今をより大切にしていこうと気持ちを新たにしました。

 

一つ思ったのは本番に対する考え方の違い。日本だと曲の完成度はもちろん、どのくらい練習に出席したかということをかなり大事にするのが普通だと思います。ですが、今回のわたしは正直飛び入り参加だったし、その上何曲も打ち合わせになかった曲を演奏し、演奏中にも遅れて来た奏者が曲の途中で演奏に加わって来たりもして、なんだかとても不安定な要素が多いと感じました。わたしが出てもいいのか、確認もしましたが、いきなり来た外国人のわたしが本番にのってもtidak apa-apa(インドネシア語で大丈夫という意味)なのです。前回のワヤン上演然り、技術が拙くてもどんどん本番に出してしまうというのはこちらの一つの特徴なのかもしれません。こういうシチュエーションは、ドキドキが止まりませんが、わたしのように勉強中の学生にとってはとてもありがたいことでもあります。

 

今回の機会に感謝し、次またどこかで呼んでもらえるように、またさらに技術を磨いていきたいです。

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Hari Wayang Dunia ②

前回はHari Wayang Dunia 全体のことを書きましたが、今回は11月8日(木)に自分が上演したワヤンのことについて書きたいと思います。

 

今年の春にジャワに行ってワヤンの先生にレッスンを受けた時、11月にワヤンのフェスティバルがあるから、留学したら出るようにと先生に言われ、その時はイメージができず、ああそうなのかくらいに思っていたのですが…。

 

10月くらいからダラン科はずっとHWDモードで、学生も先生も授業が終わると毎日それぞれの準備や練習をし、少しずつ盛り上がっていく様子を見て、事の重大さがわかっていきました。実際当日舞台を見ると、大きなプンドポの中に3つのクリルが張られ、とても大掛かりなフェスティバルでした。特に一番奥のクリルは枠に金色のガラスの装飾も付いていてキラキラ光り輝いている…!一体私はどのクリルを使うのかなと思っていたら、なんとそのいちばん立派なクリルだったので、本当に驚きました。マンタップさんやプルボさんが使ったのと同じクリルだったのですから…!

 

当日はジャワの正装でということだったので朝からダラン科の女の子たちが手伝ってくれて、着付けをしました。クバヤとカイン(レースのブラウスみたいなものと巻きスカート)は何度も着たことがあったのですが、今回サングル(女性の伝統的な付け毛)を初めてつけました。(ずっとつけてみたくて、大分前から楽しみにしていました…!)ジャワのお姫様気分で、それだけでわくわくしますね。ただ、頭が重くなって大変かなと思っていたのですが、実際つけてみるとそうでもなく、どちらかというと慣れない付けまつ毛が目に入ってビビったのは内緒…。

 

ワヤンの実技は2015年の春に始めました。その当時、ワヤンやガムランとの向き合い方が一瞬わからなくなって苦しい思いをした時期があったのですが、その時に、ワヤンも自分でやってみたらもっとわかるようになるかもしれない、道が拓けるかもしれない、そういう思いでワヤンの実技を習うようになりました。最初はそれだけで、今思うとなかば勢いだけで飛び込んでしまったような感じがします。人形操作をすること自体も難しいのに、歌を歌ったり、全キャラクターのセリフを言ったり、両手両足を全部使いながらガムランに指示を出したりもするからです。相当大変だということは考えればわかったはずなのに、気がついたらワヤンを習い始めていた自分がいて、自分で驚いたこともありました…笑

 

というわけなのでもう始めて3年は経っているのですが、留学前は年に一二回しかジャワには行けなかったので、少しずつ少しずつ練習を進めてきました。短期で行くたび、先生が何度も繰り返し教えてくださったのと、わたしが所属する日本のガムラン・グループ・ランバンサリの方が練習や発表の機会を作ってくださったお陰で短いワヤンができるくらいには勉強を進めることができました。これまではほとんど人形操作をするという部分がメインで、語りや音楽との関係はまだまだ不十分というのが、留学前の状態でした。

 

今回、正直できるかとても不安だったのですが、先生のアドバイスもあり、Banbangan dan Panakawan からPerang Kembang (アルジュノとポノカワンの道行きからチャキルとアルジュノ、ラクササによる華の戦い)を演目に選ぶことになりました。Perang Kembang は、ワヤンの中でもいちばん難しいと言われる戦いの場面です。二体の人形が戦い、人形の手に付いている棒をぶつけたり、短剣や矢などの小道具を使ったりもするので、一つ一つの動きが本当に難しかったです。今年の春に少し練習を始めたのですが、初めは片手で人形を持つことさえもままならず、人形が戦っているように見えるまでに大分時間がかかったように思います。9月は先生の都合であまりレッスンができず、戦いの場面のほとんどを10月に追加したので、一時はどうなることかと不安になりましたが、なんとか形になったのでほっとしています。しかも今回は“ジャワ語で語る”ということにもチャレンジしました。当初は人形を動かし、途中歌を歌うだけの予定だったのに、「授業で使っている台本通りでいいから喋りなさい。」と先生からの司令が…。事あるごとに色々な要素がどんどん追加され、最初は30分以内ということだったのに、気がつけば40分くらいの上演になってしまいました。レッスンの時にはこれまであまり指摘されなかった合図のことや、音楽の拍を意識することなどを注意するようにとの指導が増え、大変ではあるけれども、人形を動かすことに留まらず、自分が次のステージに進みつつあるということがわかって嬉しくなりました。

 

とは言えキャラクターの声の作り方やジャワ語にはまだまだ不慣れだし、合図もうまくいかなかった部分もあるので、まだまだ修行が必要だなと思いました。

 

本番にはやはり魔物がいるようで、練習の時には忘れなかったチャキルとアルジュノの対話をまるまる忘れて次の曲(スルパガン)の合図を出してしまいました。想定外だったので気づいた時には自分でもびっくりしました。ところが、魔物もいるけれど神さまもいるらしく、語りを忘れているぞとチャキルの声が聞こえてきました。そして、スルパガンはふっとシルップ(語りを入れるためにガムランの音が小さくなること)になり、わたしはなんとか語りを入れることができたのでした。

 

人形がいい人形すぎて焦ったなぁ、チャキルがいつものチャキルの顔と全然違かったのです…。

 

実はこのようなハプニングもあったのですが、無事ジャワでのプンドポデビュー公演を終えることができました。

観ていた留学生の友人の一人が、「あんなに人形を激しく戦わせるなんて、普段のあなたからは想像できないから本当に驚いたよ、プロフェッショナルだね!」とベタ褒めしてくれたのがとても嬉しかったです。(※わたしは全然プロフェッショナルではないけれど。)

 

本当に普段のわたしは人の前に出る性格でもないし、どちらかというと恥ずかしくて土に埋まりたいと思いながら生きているのに、一方で、そんなわたしが気がついたらダランを勉強している…。やっぱり今回の舞台が本当に楽しくて、いつか機会があるならまたやりたいと思っているわたしがいるので、人生って本当に何があるかわからないなと思います。

 

今回はわたしの前にハンガリーからの留学生ズーザZsuzsa も出陣の場面を上演しました。ガムランもワヤンも初めてだという彼女は、ダラン科のジョコリアントJaka Rianto先生が留学生のために開いてくださっていた練習会の中で、今回の上演に大抜擢されました。2ヶ月ないくらいの時間で人形を動かすだけでなく、歌ったり、語りを入れたりもしていて、彼女の物覚えの速さに圧倒されました。わたしはどちらかというと不器用な方なので…。本番、本当に堂々としていて素敵でした。わたしの大好きなドゥルソソノが出てきた時には本当にわくわくしました。

 

自分の不器用さに目がいってしまうこともあるけれど、色々な国の友人と出会い、ワヤンやガムランのよさを分かち合えることは本当に素晴らしい時間だと思います。今回、何人もの留学生仲間がガムランの伴奏を手伝ってくれて(しかもその一人はグンデルを弾いてくれて)それもまた楽しい経験になりました。また、練習ではたくさんの学生も手伝ってくれて、たくさんあたたかい励ましの言葉をかけてもらいました。素晴らしい環境に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

留学早々贅沢な経験をさせていただいたこと、本当にありがたいことです。あの舞台でワヤンをしたこと、一生忘れないと思います。今回のために、何度も留学生を指導してくださったジョコリアント先生、お忙しい中レッスンしていただき、熱心に教えてくださったハリヤディ先生に心から感謝の意を表したいと思います。

 

こういう素敵な環境にいられることに感謝し、またいつかジャワや日本でワヤンができるように、今後も日々修行を頑張りたいです!

 

長々すみません、また書きます(^^)

 

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Hari Wayang Dunia ①

大学でHari Wayang Dunia (世界ワヤンの日)というイベントが開催されたので今回はそれについて書きたいと思います。

11/6〜9 の4日間、ジャワやバリの様々な様式のワヤンが集められ、連日昼間から深夜まで上演が行われました。8日には自分自身もダランとして上演を行いました。自分自身の準備をしていたこともあり、全部は観られなかったのですが、いくつか面白かったものをピックアップしてみます。

 

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多くの公演が、写真のような7つの言語による同時通訳つきでした。これで普段は何を言っているのかよくわからなかったのですが、内容の細部まで楽しむことができました。ただ、字幕があると字幕を観てしまいがちになり、ワヤンの動きをきちんと追えないこともあるので、やはりジャワ語を頑張らねばと思ったのでした。

 

1日目はまず、目玉公演としてマンタップ・スダルソノのルワタンの上演がありました。ルワタンは厄払いのために行われる儀式的な性格をもつワヤンです。何か問題を抱えている人や、スケルトという厄があるとされる条件に当てはまる人のためにこのワヤンを上演し、災厄を取り払います。会場に入ると、白い布をまとったお祓いを受ける人々がずらりと並んでいました。このスケルトというのは一般には25個の条件があり(兄弟の人数や生まれた順番、生まれた時間帯や親を亡くしているかどうかなど)条件がかなり多いので大分色々な人が当てはまりそうです…。話の中にダラン自身が自分の出自やダランとしての系譜を語るところがあるのですが、ダランとして、特に儀式を司る祭司としての役割はやはりダランの血統が重視されるのだということを実感しました。ワヤンの終わりには、ダランがスケルトたちの髪を切り、聖水をかけるという一幕も。このような、儀礼の執行者としてのダランという側面はなかなか見ることができないので、貴重な経験となりました。

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夜は開会式があり、ダラン科や舞踊科、演劇科の学生や先生たちがワヤンとダンスをコラボレーションさせた演技をしていて、とても鮮やかでした。

 


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その後一時間半ずつ、4つのワヤン公演がありました。見せ場が多いからなのか、この日に限らず、多くの公演でバラタユダ(マハーバーラタの大戦争の場面)の一場面が演目として取り上げられていたのが気になりました。いくつか印象に残ったものを書いていきます。

一つ目はワヤン・ベベルで伝統的なものと、新しいスタイルのものを組み合わせて上演されていました。ワヤン・ベベルは絵巻物のようなものを用い、紙芝居のようにダランが語りを行い、物語を進めていくワヤンの形式です。まず、伝統的な形式では、ダランが語りの部分でも少し歌うような節のある語りをしていたところが興味深いと思いました。一方、新しいスタイルの上演では若いダランが絵巻物の向こうと観客側を行ったり来たりして、ダイナミックな語りを展開していたのが印象的でした。音楽はジャワの太鼓を使っていましたが、ほかにベースやヴァイオリンが入ったりして、なんとも不思議な響きでした。伝統的なスタイルの伴奏をしている太鼓奏者のおじいさんが、隣で行われている現代的なスタイルの上演を不思議そうに見ているのには、思わず笑ってしまいました…。

 

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この日の最後に行われたボヨラリ出身のKi Sri SusiloによるWerkudara Kembar は大盛り上がりでした。語りが面白く、戦いの場面の間にも少し笑ってしまうような面白い動きを入れたりして、深夜にもかかわらず、お客さんが大勢いました。また、個人的にはこの人のスルック(ダランの歌)が特徴的で気になりました。というのは大分節回しが細かく、高い音で歌っている時間が長かったということと、スルック全体が長いという傾向にあったからです。スラカルタ様式のワヤンということでしたが、スルックは色々なんだなということと、この色々はどこからくるのか、ますます興味が湧きました。

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二日目(7日)は朝から深夜までワヤンの公演がありました。昼間は子供のワヤンがメインでした。小学生や中学生の男の子がダランをするのですが、人形さばきや合図の出し方など大人顔負けで、力強い上演をしていました。ただ、声変わりする前の小学生の男の子にはスルックを歌うのは難しいのかなと感じました。それでもひとつの舞台をこうしてやりきるエネルギー、ダランは子供の頃からすごい力を持っているのだということを実感させられました。普段は学生と関わっているのですが、いつかこういう小さな子供についても、ダランの修行のことを取材してみたいです。

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夜もいくつか公演を観たのですが、一つ紹介したいと思います。それはISIの学生のSeruni Widawatiさんの上演です。ジョグジャ出身の双子の女の子がダラン科にいるのですが、その一人がダランをしていて、もう一人が太鼓を叩いていました。わたしがダランの練習をする時にも二人が太鼓やそのほかの楽器で手伝ってくれたことがあり、またこの公演に同じ授業を受けているダラン科の女の子がシンデン(女性の歌)として参加していたので、ダランは本当に何でもできる人が多いのだなと思いました。今回の演目では、戦いの場面や鬼が出てくる場面も多く、色々な声を上手く演じ分けているところが素晴らしいと思いました。鬼が叫ぶ声は女の人には難しいと思うので(自分でそう思います)イメージが作れて、参加にできそうなのでよかったです。太鼓奏者と息がぴったりなのも双子ならではだと感じました。


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3日目(8日)はワヤンを上演する機会をいただいたのですが、それについては別で詳しく書こう思います。

同じ留学生のズーザもわたしの前に公演したのですが、ガムランもワヤンも初めてという彼女がほんの2ヶ月で出陣の場面をマスターしてしまったことは本当に驚きました。当日、本当に堂々と演技していて、さすがだなと思いました。

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この日は午後、ワヤン・ゴレッ(木偶人形)の上演がありました。まとまった演目を観るのは初めてだったので、とても嬉しく鑑賞しました。立体の人形が舞い踊るのは、いつものワヤンクリッとは違った美しさがあり、これもまた素敵だなと思いました。より戦わせるのが難しいのではないかと思うのですが、二体の人形が戦ったりもしていて、圧倒されました。


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最終日は、日中はプンドポでは上演はなく(その理由はあとからわかるのですが…!)Teater Besar というホールでワヤンがありました。Wayang Kruci といジャンルのもので、kediri地方のダランKi Harjito がパンジ物語を題材にしたラコンを上演しました。このワヤンは初めて観ましたが、地方の様式のようでグヌンガンも植物か鳥の羽根で作った特殊なものを使っていました。(遠かったのでどちらかわかりませんでした…)人形も厚みがあるものを使っているように見えたのでもしかしたら木製だったのかもしれません。何より驚いたのは幕を使わないこと。左右には幕があったのですが、ダランが使う部分は幕がありませんでした。ワヤン・クリッの場合は幕をうまく使って人形を操作する部分も大きく、特に戦いの場面は幕がないと難しいと感じます。しかし、今回の上演では、幕がなくても巧みに戦いの場面が演じられていて、拍手がわき起こるほどでした。楽器は普段使っているガムランと同じものを使っていましたが、スルパガンやサンパらしき楽曲は全く違うものでした。スルックは中部ジャワのものと比べると全体に長く、途中サロンが入ったりするものもあり、興味深かったです。地方様式の多様性があるというところもワヤンの魅力のひとつだと言えるでしょう。


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この日の夜はプンドポで閉会式がありました。なぜ昼間はプンドポでの公演がなかったのか、夜プンドポを訪れるとその理由がわかりました。プンドポの全面にクリルが張られ、建物にいつもはない壁があるかのようになっていました。そしてそのクリルの両面全部にずらっと人形が並べられていたのです。昼間公演がなかったのは、この大掛かりな準備に追われていたからでしょう。ワヤンの公演に行くとクリルの左右に、人形が規則正しく並べられているのを見ることができますが(これをシンピンガンといいます)このシンピンガンがとても大事にされているということがなんとなくわかった気がしました。わたしの知っているダランで、シンピンガンを数えるのが大好きなダランがいますし、最近読んだ本では人形の説明のところにいちばんにシンピンガンの説明が長々と書かれていたこともあり、シンピンガンは、思っていたよりもずっと大切なものなのかもしれないと思いました。

 


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閉会式でも学生達のパフォーマンスがありました。サックス、ワヤンを使ったダンスと竹の楽器とのコラボレーション。こういう演出、よく思いつくなぁと感心しました。


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その後、ワヤンの中でダゲラン(お笑い芸人)としてよく登場するKirun が出てきて、しばらく演説のような話をしていました。詳しくはわかりませんでしたが、ダゲランのことを話していたようなので、ダゲラン自身も思うところがあるのだなと思いました。ここはわたし自身も非常に気になるところです。

 

最後に、Wayang Kolaborasi というジャンルのワヤンが上演されました。これは、3人のダランが(2人でやることもあるのでいつも3人ではない)共同で一つの物語を進めるワヤンです。3つずつ同じ人形が用意してあり、同じキャラクターを3人で演じることもあれば、広い一つのスクリーンを共有して、別々のキャラクターをそれぞれのダランが演じ分けることもあって、華やかで観ていて面白かったです。

Wayang kolaborasi に限らない話なのですが、こういう大掛かりで驚くような演出をやってのけてしまうジャワの人たちはとてもエネルギーがあるなと思います。また、学生たちの開閉会式でのパフォーマンスを観て、ワヤンそれ自体だけでなく、舞踊や演劇、西洋の楽器と、ワヤン以外の要素とのコラボレーションが行われ、それが大学のフェスティバルのとしてよしとされているということが興味深いと思いました。いわゆる“伝統的なもの”だけでなく、その他のものとも融合することが認められる、ジャワのワヤンの世界はこういう新しいもの、クリエイティブな姿勢がどんどん許容される世界であるということは、一つ言えることかもしれません。

 


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長々書いてしまいましたが、ジャワのワヤンはこれからも色々な変化や新しいものを巻き込みながら、ずっと継承されていくのだろうなと思います。わたし自身も、勉強を続け、見えるもの、聞こえるものを増やしながら、ワヤンの変化を見守っていきたいと思います。

 

ジャワの結婚式

先日ワヤンのレッスンに行ったら、先生から「日曜日の夜に息子の結婚式をするからおいで。」と、結婚式に招待していただきました。今回はジャワの結婚式がどんな様子なのか書いてみたいと思います。

 

今回の会場は大学のプンドポでした。(ジャワの伝統的な柱と屋根だけの吹き抜けのような建物。ガムランをはじめ色々な催しで使われます。)以前ほかの方がホテルで結婚式をした時に見に行ったことがあったので、ちょっと驚きました。少し出店が出ていたりして、さながらお祭りのよう。かなり大きなプンドポですが、奥に新郎新婦と家族の席があり、それ以外の三方をぐるっと客席が囲みます。ほとんど席が埋まっていたので、かなりの人数だったと思います。わたしの先生はダラン科の先生なので、その他のダラン科の先生方もたくさんいらしていました。

 

会場には花がたくさん飾られ、新郎新婦の席もとても豪華でした。式が終わった後、しばらく見入ってしまいました。ワヤンの時の会場もそうなのですが、ジャワの人はいつもはそこにないものを一瞬にして作りあげてしまうので、驚かされます。左右にグヌンガン(ワヤンの人形の一つ)のモチーフがあるのも、先生らしいなぁと思いました。紺色に近いブルーに黄色の花をあしらった新郎新婦の衣装がとても美しかったです。新婦の細かな花の髪飾りが素敵でした。あらためて、ジャワにはキラキラしたものがたくさんあるなと思いました。そして何より、いつもお世話になっている先生と奥様がとても嬉しそうだったので、わたしも幸せな気持ちになりました。

 

新郎新婦の席の右隣にはガムランの生演奏があり、式中ずっと演奏をしていました。始まる直前、ウィルジュンのブダヤンやミジルウィガリンティアスなど知っている曲も多く演奏されていました。特にウィルジュンのブダヤンバージョンは芸大でも演奏したりしていたのですが、こちらで生で聴くのが始めてだったので嬉しくなりました。おめでたい!その後、ジャワ料理のフルコースをいただきながら、式を楽しんできました。

 

踊り手とともに新郎新婦とその家族が入場してきて、何か儀式を行っている間(カメラマンがたくさんいたのと自分の席の角度的に見えませんでした…)顔を真っ白に塗った(ちょうどワヤンオランの道化みたいなメイク)男女の踊り手がずっと首を振る動作をし続けていたのが気になりました。それが終わると、彼らはそれぞれ新郎新婦の席の左右にずっと座っていました。彼らはどんな役割なんだろう…

 

そのあとISIの先生が二人ご挨拶されました。その間中、新郎新婦の席には、代わる代わる重要なお客様が挨拶に訪れては、みんなで記念撮影をしていました。これ以外の場面でもよく感じるのですが、ジャワの人って本当に写真を撮るのが大好きなのですね…。

 

結婚式でよくあるガンビョン(踊りの名前)あたりが行われるのではないかと思っていたのですが、今日はガンビョンとは全く雰囲気の違うエネルギッシュな男女の踊りが二つ披露されました。以前、今日のために東ジャワの曲を練習していると友人に聞いたことがあったので、おそらく東ジャワの踊りだと思われます。なぜそれなのかは今度先生に聞いてみたいです。(お嫁さんのルーツがあるとか、そういうことなのかなぁと予想しています。)一つ目は踊り手が足に鈴をつけていたのが特徴的でした。黒と赤の衣装にキレのある振りがとてもかっこいい踊りでした。二つめは二組の男女がペアになって踊る舞踊で、特に音楽が中部ジャワと全然雰囲気が違うのが強く印象に残りました。ところどころ重音を使ったり、細かくスピード感のある旋律はバリのガムランに似ているようにも思われました。東ジャワはワヤンをはじめ、芸能がとても盛んな地域だといいます。音楽のエネルギーに、東ジャワの風を感じた気がしました。こういう、芸能に溢れた結婚式はジャワらしくて素敵です。

 

最後に、一人年配のおじさんがお話をして、式が終わりました。途中コーランの朗唱のようなことをしていたり、agama(宗教)がどうとか言っていたので、おそらくイスラム教に関するお話だったのでしょう。(ジャワ語だったので何を言っていたかはわかりませんでした。)途中、お客さん側から笑いが起きたり、話の内容について反応があったりしていたので、もしかしたら有名な話だったのかもしれません。このおじさん、立ったり座ったり、歩き回ったりしながら、時にはある方向の観客に畳み掛けるようにして話を進めていました。何を言っているかはさっぱりでしたが、観客の心を掴んでいることだけははっきりわかりました。

 

ジャワではこういう長々としたお話や、芸能を上演する前の演説をよく耳にします。それについてわたしは、おそらく、そういう「かたり」を大事にしている文化なのだろうと思っています。そして、それは大体いつもジャワ語で行われます。ジャワ語を理解できる若者が少なくなってきているということが問題視されてもいるようですが、大切なことは今もやはりジャワ語なのです…。ワヤンでもジャワ語で上演が行われるので、わたしも少しずつ勉強しているところですが、まだまだ難しいです。ジャワやワヤンにおける「かたり」というのはいつか取り組んでみたいテーマでもあります。ジャワにおける語ることの重要性や、大事なことはジャワ語でということをあらためて思い知らされた機会でもありました。

 

とても豪華な式だったので、ぜひ写真もご覧ください。ではまた!

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ワヤン練習

今回は自分のワヤン練習のことについて書いてみたいと思います。

 

わたしはスラカルタの芸術大学(通称ISI)で影絵芝居ワヤン・クリッの人形遣いダランの実技を学ぶ学科(jursan pedalangan)に留学しています。授業のことなどは機会を改めてまた詳しく書こうと思いますが、わたし自身も数年前からダランの実技を勉強しています。留学自体は今回が初めてで、まだ2ヶ月目なのですが、11月の頭に大学でHari Wayang Dunia(世界ワヤンの日)というイベントがあり、そこでわたしも30分程度ワヤンを上演することになりました。ハンガリーから来た留学生の女の子も一緒です。彼女は出陣の場面を、わたしはポノカワンとアルジュノの場面とチャキルとアルジュノの戦いの場面を担当します。

 

聞くところによると、会場はISIで一番大きなプンドポ(伝統的な建物)で、しかもプロの演奏家が伴奏してくださるとのことなので、嬉しい反面、わたしなんかでよいのかという気持ちもあり…今からとてもドキドキしています。でも、ついにプンドポデビューということなので、楽しめるようにますます頑張りたいと思います。

 

というわけで、最近はこの本番のために週に3回、夜に大学に集まって練習しています。先程も練習をしてきたところです。

ダラン科の学科長の先生が、留学生を集めた練習をしてくださっていたのがワヤン練習の始まりだったのですが、最近は一般の学生もたくさん手伝いに来てくれてガムランの伴奏をしてくれます。ここ2週間ほどで本番に向けた練習が盛り上がってきています。

 

練習では、マイクをつけて音楽と合わせながら自分が発表する場面を通します。いつもは先生と2人で個人レッスンなので、ガムランの拍を意識しつつ数えたりしながらイメージトレーニングをしてはいるのですが、いざ生のガムランと合わせてみると、慣れない状況に戸惑ったり、人形の手が引っかかったり、ある動きをうっかり忘れてしまったりと事故が起きたりもします。通すたびに、毎回色々なことを反省します。それでも、わたしの動きに先生や友人が太鼓で合わせてくれるのがわかって、そういう相互作用を実感できるのが、生で練習をする醍醐味だと感じます。折角の機会をいただいたので、本番まであと2週間ちょっと、丁寧に完成度を上げていこうと思います。

 

わたしがレッスンでついているワヤンの先生もも学科長の先生も、わたしが少しでも間違えたり気になるところがあると、そこを取り出して何度も何度も懇切丁寧に教えてくださいます。(ここは現地の学生と違うところだと思う。)学生さんたちも他の練習で結構忙しいらしいのに、毎回練習に来てくれる子たちがたくさんいて、ジャワの人は本当に親切です。しかも終わるたびに毎回みんな拍手してくれます。(なんて優しいんだ…。これに恥じない公演をしたいです。)学生の中にも、合わせるのは初めてなのに、いきなり太鼓やグンデルができる人もいて、学生のスキルの高さに日々驚かされています。また、練習の合間に学生さんたちと仲良くおしゃべりをすることが増えてきたのが、最近とても嬉しいです。

 

ハンガリー人の女の子は、カラウィタン科(ガムラン演奏)に留学しているのですが、留学生のワヤン練習に参加するようになり、先生から今回のステージに大抜擢されました。ワヤンもガムランも初めてだという彼女ですが、始めて2ヶ月足らずで立派に出陣の場面をこなせるようになってしまいました。歌を歌ったり、台詞を言ったりもしています。覚えるのが速くてびっくりです…。以前よりは人と比べてわたしはどうだとか考えなくなったけれど、(もちろん彼女も相当頑張っているのだと思いますが)こういうのを見てしまうと、つい不器用な自分に目がいってしまうことも…。

 

そこで少し考えてみました。わたしはわたしで、アルジュノさんがチャキルを倒すところまで音楽と合わせて通せるようになりました。確か半年ちょっと前にランバンサリでミニワヤンをやった時、「この続きをお楽しみに!」と言ってワヤンを終わりにしたのですが、その続きが完結したということです(^^) 先生がおっしゃるところのCakil mati です!(チャキルが死ぬという意味。)

 

そうだ、わたしはわたしなりに前に進んでいるのだ。

 

ジャワに来て知ったのは、言葉もわからずに、インドネシアに来るヨーロッパの留学生が結構たくさんいるということ。何もかもが新しいということはある面ではとてもいいことだと思うし、きっと色々なものを収穫して帰るのだろうし、彼らの勇気は本当に素晴らしいと思います。自分の専攻以外にも興味をもち、色々な芸能にチャレンジする友人がたくさんいます。

そういうエネルギーに圧倒されそうになるけれど、わたしはどちらかというと自分のやりたいことを腰を据えてじっくり勉強したいという気持ちがあるので(留学してワヤンを勉強したいとずっと思ってきたわけだから)ほかの留学生から良い刺激を受け取りつつ、マイペースで頑張りたいなと思う最近です。自分の軸をしっかり持たないといけないなと実感するようになりました。

 

実際、今までの経験や先輩方が教えてくださったことにかなり助けられていて、これも日本にガムランの豊かな演奏の土壌があるからなのだろうと実感しているところです。このことに感謝しつつ、半年前のミニワヤンの続き、これからどれだけクオリティを上げられるか、どれだけレパートリーを増やして日本に帰れるか、これからもチャレンジを続けたいです。

 

また書きますー(^^)

(わたしとチャキルの写真は友人が撮ってくれました)

 

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