ねこちゃん
ジャワに来てから、何匹かねこのお友達ができた。ねこは飼ったことがなくて、自分は犬派とさえ思っていたのに、なぜかねこが寄ってきてくれる。今はすっかりねこにメロメロである。
去年の3月、ちょうどパンデミックが始まった頃、屋根の上に茶トラ猫が代わる代わる遊びにくるようになった。なぜか茶トラばかり。だけどみんなかわいいので、しんどい時期にどれだけ癒されたかわからない。
最初はお互いに見つめあって、少し遠くから挨拶するだけだったけれど、今年に入ってから、2匹の茶トラねこが屋根の上から降りてきて、家でしばらく遊んで行くようになった。ふたりとも男の子で、好きな時に来て、しばらく撫でられては、どこかへ帰って行く。人懐っこくてかわいいねこだった。
なぜかはわからないけれど、3月に入ってから、大きくて色の濃いねこの方はぱったりと来なくなってしまった。それでも、彼のあとをついていくようにしていた、小さいねこちゃんは、ひとりになっても変わらず遊びに来てくれた。わたしが姿を現すと、にゃーと鳴いて降りてきてくれる、賢いねこだった。
小さくて痩せていたので、わたしは彼のことを野良ちゃんだと思っていた。だけど、なんとなく名前を付けられなくて、ねこちゃん、ねこちゃんと呼んでかわいがっていた。気がつくと日本語で「かわいいね。」と話しかけていたので、何を言っているのか不思議に思われていたかもしれない。でも、何かわかってくれたのか、ゴロゴロすりすりしてくれたり、最近はふみふみしてくれたり、目を細めたり、甘えてくれるようになった。最近は抱っこで寝たり、うちで一眠りして帰って行くことも増えて、かわいくて仕方なかった。ねこがいる時間は、穏やかで素晴らしい時間だった。
だから、ねこに会えることは、いつの間にかわたしの心の支えになっていた。いつの間にか、わたしは毎日ねこが来るのを毎日心待ちにするようになった。この半年も、つらいことが多かったけれど、ねこが来るたびいつも元気をもらっていた。ねこを待つ日々は、とても幸せだった。
なぜ過去形なのかというと、だいすきなねこちゃんは、ほんの少し前に虹の橋を渡ってしまったから。
ねこちゃんは、ジャワでお世話になった人のかなり上位にランクインすることとなった。(人ではないけれども。)わたしは色々調べて、しばらく誰かにねこを預かってもらい、ゆくゆくは日本に連れて帰って一緒に暮らそうと本気で考えるようになった。手続きは時間がかかるけれど、連れて帰る方法はちゃんとある。今度はわたしが彼を幸せにしてあげたい、そう思うようになった。だからわたしは少し前まで彼を捕まえるタイミングを見計らっていた。
8月5日の深夜のことだった。
いつものように遊びに来たねこちゃんだったけど、なんとなく身体が熱かった。そして、時々呼吸が荒くなり、苦しそうに息をしていた。そのまま帰すわけにはいかないと感じたので、少しいきなりだったけれど、ねこちゃんを捕まえることにした。朝一で病院に連れて行った。
夜中外に出たいと鳴いていて、かわいそうだったけれど、心配だったので帰すことはできなかった。わたしは一晩、「ごめんね、大丈夫だよ。」と言いながら撫で続けた。
病院でもずっと鳴き続けてかわいそうだった。けれど、抵抗もせず診察を受けてくれて、注射もさせてくれた。そういえば、普段も、どんなに慣れても甘噛みもしない、穏やかで優しい子だった。幸い、先生がとても親切で、丁寧に説明してくれた。推定2歳未満ということ、その時は、少し熱があって体力が下がっていること、薬と回復食を食べさせること、そしてその方法まで教えてもらった。状況は深刻そうではなかった。
ねこを連れて帰って、ibu(ここでは大家さんにあたる人)にしばらくねこを置いておいてもいいか尋ねたら、快くOKしてもらえた。ただ、近所にいくつかねこを飼っているお家があり、その人たちのねこの可能性もあるので、確認をしてみると。
朝一で病院に行って、少し楽になったのかねこちゃんは寝ていた。しばらく部屋で一緒に休憩していたところ、夕方になって、ねこちゃんはibuの家の前に住んでいる人が飼い主だということがわかった。わたしは薬を飲み切らせるまではお世話したかったのだけれど、返してほしいと言われたので、わたしはその日のうちに、薬とともにねこを返しに行った。
飼い主がいたことにほっとした反面、ちょっとさみしいと思っている自分もいた。そこでは、何匹かねこを放し飼いにしているらしく、ちょっと帰って来なくても気にしない、ジャワではそんなものよとibuたちが話してくれた。また少しジャワと日本の違いを知った。でも飼い主がいれば、わたしがジャワに戻ってきたらまた会えるし。そう思っていた。だから安心してもいた。
急に捕まえたりなんかして、もしかしたら嫌われちゃったかも、もう会えないのかなぁなんて思いながらも、わたしは変わらずねこが来るのを待ち続けた。気がつくと、癖でなんとなく屋根の上を確認してしまう。
ちょうど独立記念日の日に、何日か前にまたねこが体調を崩したとibuが教えてくれた。だけど、その時はもう元気で、その辺りを歩いているよとのことだった。
だからまた会えると思っていた。
あの子を返してから、約3週間、いつの間にかわたしは毎日ねこを探すのが日課になっていた。だけど、とうとう会えなくて、わたしはibuに、ねこが家に帰ってきたタイミングで会わせてもらえないかとお願いしたところだった。
昨日の昼になって、
「ごめんね、この3日くらいの間で死んでしまったみたいだよ。」
と連絡があった。
しばらく悲しいお知らせが多かったけれど、まさかねこちゃんまでいなくなってしまうとは思いもよらなかった。悲しくてしばらく涙も出なかった。夜になってやっと、気づいたらねこでいっぱいのデータフォルダを見て、ぼろほろ泣いた。
思えば飼い猫なのに小さくて痩せたし、きっともっと何か重大な病気があったのかもしれない。あの時もっとよく病院で検査してあげればよかったのかもしれない。あの時すぐに返さないで、わたしが薬を全部飲むまでお世話すべきだったのかもしれない。考えれば考えるほど、色々な後悔が私を襲う。
今日もがらんとした塀の上をしばらく眺めていた。あの子は夜風に吹かれながらあそこで寝るのが好きだった。まだ近くにいるだろうか。
かわいい友達と過ごした穏やかな時間を、わたしはこれからも折にふれてじんわりと思い出すと思う。
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ねこちゃん、
まだまだ若かったのにね。つらかったね。
最期は苦しまなかったのかなぁ。
もう苦しくないね。
もう会えないなんて…
いやだよ、また来てよ。
病院に行った日が最後になってしまったけれど、怖がらせてごめんね。でもね、いじめたかったわけじゃないの、だからごめんね、どうか許してね。もう一回会いたかったな、直接ごめんねを言いたかったのに。
仲良くしてくれてありがとう。
忘れないからね。
だいすきだよ。