mainichiwayang’s diary

ジャワでダランとガムラン修行中の大学院生です:)

近所の文化祭で

イベントの街としても知られているソロですが、土日の夜は特にイベントがたくさんあります。今日は住んでいる場所のすぐ近くのクプラボンというところで地域の文化祭があり、それを観に行ったことについて書きます。gelan budaya keprabonというイベントで今日から数日続くようです。

 

最初にガンビョン・パンクールという伝統的なジャワ舞踊があったあと、色々な民族衣装をまとった子どもたちの合唱がありました。(これが振りがついていてとてもかわいかった…。そしてピアノ伴奏の人がよく間違えていたのが気になった笑。)ワヤンの舞台でもよくあるのですが、ジャワでは子どもや技術的にまだ未熟でも構わず舞台にのせて発表させることがあります。こういうところは日本との大きな違いかなと思います。

 

そのあと女の子たちによる舞踊が2つありました。伝統的な舞踊を取り入れているとのアナウンスがあったけれど、(聞き間違えていなければ)伴奏曲はシンセサイザーによる西洋の音楽語法にガムランの音を加えたもの。加えたと言っても飾り程度なのでほぼ西洋音楽と言ってよいと思います。衣装もドレスみたいにひらひらしていました。ふたつのグループとも振りが大きく、腕を高く上げたり回ったりしてダイナミックでした。それを考えると衣装のデザインは効果的なのかも知れません。

そういえば、スピーカーからかなり大きな音が流れていたのは東南アジアならではだなと思いました。(この地域の人たちはイベントの時の音楽を大音量で流したがる傾向があると本で読んだことがあります。)

 

次にガムランに伴奏される古典的な舞踊Banbangan dan Cakilがありました。これは《マハーバーラタ》の一場面でパンダワ五王子の三男アルジュノと鬼のチャキルが戦う場面を表したものです。ちょうど今わたしがワヤンで練習中の場面だったので興味深く見ることができました。やっぱりチャキルは舞踊でもカクカクとした特徴的な動きをするのだななぁと、ワヤンや舞踊の見方が少しでも分かると面白さが倍増するものだと感じました。

 

最後にIbu-ibu(一般のおばちゃんたちが参加する)グループの演奏も聴きました。Suwe Ora Jamuという日本でもおなじみの曲を演奏してしました。途中お笑い芸人らしきおじさんが横から現れて曲に合わせて踊り始め、しばらくすると別の芸人も加わり、面白いことを言い始めたようです。途中でお笑い芸人が現れるのは実はワヤンでもよくあることですが、近年、全体的な傾向で、観客がこういった演出を求めるようになってきているのだそうです。

 

今日も色々なものを見ることができましたが、一つ思うのは芸能の身近さ。踊りを踊っていたのはみんな20代くらいの若い女の子たちばかりだったし、子どもたちにも発表の機会が用意されていました。そして、舞台に出ない子どもたちも会場の周りにたくさんいて、興味深そうに舞台を観ている子や、真似をして歌ったり踊ったりしている子もいました。さらにはIbu-Ibuのグループもあり、実際こうしたグループはそれぞれの地域にかなりたくさんあるのですが、色々な人がガムランに触れる機会がたくさんあるということがとても素敵だと感じます。日本にいると芸能、とりわけジャワでいうガムランにあたるような伝統芸能は一般の人々にとっては敷居が高いものだと思うのですが、ジャワではこうしたイベントが開かれることはよくあることで、幼い頃から芸能に触れるチャンスが多いというのが魅力の一つだと思います。“人々と芸能の距離の近さ”はわたしがジャワに惹かれた理由の一つでもあります。

 

一方で、伝統の変化というものも感じます。西洋的な音楽と新しい舞踊や衣装はその例で、ジャワの人は新しいことを自分の文化に取り入れることを積極的に行なっています。また、伝統的なガムランや舞踊よりも、観客の興味関心に迎合し、お笑い芸人が登場するということも変化の一つと言えるでしょう、

わたしは、変化が起きることも新しいものが生まれていくのも悪いことではないし、そういうクリエイティブな姿勢は素晴らしいことであると思います。それはジャワ人の良いところであるとも思います。一方で、今後伝統的なガムランやワヤンがどのように変わっていくのか、また人々に受容されていくのかというのが、今いちばん気になるところであります。その意味で今は芸能は大きな変化の時にきているのかなぁと。次の機会にどんな芸能に出会えるかがとても楽しみです。

 

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ワヤン上演のこと②

前回からちょっと間が空いてしまいましたが、(というのは、最近毎日のようにワヤンを観に行っていたからなんです…。)相変わらず元気です(^^)

 

いくつかワヤンがあったのですが、今回も二つのワヤンをレポートします。(留学が終わるまでに何回レポートできるだろうか…?)週末土曜と日曜に二晩続けてワヤンがあり、幸運なことに二つとも売れっ子ダランでした。一つはマンタップ・スダルソノKi Manteb Soedharsono 、もう一つはプルボ・アスモロPurbo Asmara によるものでした。

 

マンタップさんのワヤンは、ワヤンの街クラテンというところのフェスティバルの中で行われたものでした。これは、1970〜80年代に活躍したダラン、ナルトサブドを偲んで行われたものだそうです。

楽器のすぐ後ろで観ていたのですが、気になったのは楽隊の人たちがみんな何枚もの楽譜の束を携えていたこと。即興で曲が決まるものなので楽譜によらないのが本来のやり方なのですが、音楽の付け方は相当作り込まれているように感じました。また、ガムランの音階も一つの音階しか使わないというのが基本のスタイルですが、二つの音階を頻繁に変えながら上演を進めていたというところにもそれを感じました。(事前に打ち合わせをしておかないと、頻繁に別の音階の楽器を使うのに対応するのは難しいのではないかと思います。)それで、結果的にかなりたくさんの楽曲を使っていて、変化に富んでいて聴いていて面白かったです。

 

その中で、マンタップさんがよく取り入れている、中間部でのジョクジャカルタ様式の使用や、ダイナミックな人形操作もあり、マンタップさんらしさもきらりと光る上演でした。人形が色々な方向へ飛ばされていたのでダランの助手が大変そうでした…。最近自分でも戦いの場面を練習しているのですが、小さな人形を戦わせるだけでも相当な技術がいるのに、大きな鬼の人形を軽々と戦わせていたのは圧巻でした。(マンタップさんは人形操作の天才として有名なダランでもあります。)

最近の傾向だと、多くの上演で、最後のマニュロの部分ではひたすら戦いの場面でサンパという短い形式の楽器が鳴り続けていることがしばしばあるのですが、今回は戦い続けるだけでなく、随所随所に語りもしっかり入っていました。

 

音楽の使い方、人形操作、語りとやっぱりオールマイティーだなぁ、さすが大御所だなぁと改めて感心してしまいました。今年70歳になられるのだそうです。それでいて一晩の上演をエネルギッシュにこなすマンタップさんは本当に素晴らしいと思います。(彼の人形操作があまりにも鮮やかで、DVDを観ながら泣いてしまったことがあるくらい好きなダランです。)

 

余談ですが、クラテンまでは友人のバイクの運転で行きました。1時間半くらいかかったかな。インドネシアではバイク移動が主流なのですが(わたしは怖いので運転はしませんが)バイクの後ろに乗るのはとっても気持ちがいいです。その途中、ワヤン会場までgoogle mapに従って進んでいたはずなのに、気がついたら一度通り過ぎたはずの場所に戻ってきてしまったことがありました。とても驚きましたが、ワヤンのかみさまのいたずらかもしれません…。

 

二晩続けては初めてだったのですが、翌日も観に行ってしまいました。ここからはプルボさんのワヤンについて書きます。

 

芸術大学のダラン科に通い始めて1ヶ月がたったのですが、今は基本をしっかりと学んでいるところです。ワヤン上演の進行には一定の型があります。プルボさんの今回の上演は、最初長めのスルック(またはモチャパットかもしれません)で始めるというところは少々意表をつくものでしたが、そのあとはしばらく基本の型通りに上演が進んでいきました。大学の授業で習ったシーンを見るたび、嬉しくなりました。大学に行くようになって、見えるもの聞こえるものが大分増えたのでワヤンに行くのがますます楽しくなってきた気がします。

 

リンブアンという娯楽の場面あたりまでは定型通りに進んでいたのですが、そのあとは徐々に定型とは異なるスタイルになっていきました。(創作と思われる曲が使われたりなど。)

 

特にヌムの場面(第一部)が4時間超えと異常に長いのが気になりました。リンブアンが終わったあともとても長かった…。

さらに、パテット(旋法)をまたいでおなじ曲が使われていたことがあり、興味深いなと思いました。卒論を書いた時から三つの場面がアンバランスになる傾向があることがとても気になっていたのですが、これは顕著な例です。

 

スルックの節回しも聞きなれないものがいくつかありました。スルックの節回しについてはそれぞれどんなルーツがあるのか、ダランがどのように取り入れているのかなどいつか研究してみたいなと思っています。

 

プルボさんは最初から最後まで定型通りの上演をすることもあり、また時には、それにはまらず、ハイライトを取り入れるなど工夫を凝らした上演をすることもあり、時と場合によってスタイルを変化させることができるダランです。色々なスタイルはやはりしっかりとした基本の型の上に成り立つものなのだろうなと感じました。

 

二日間ともわたしのグンデル(楽器)の先生がグンデルを担当していました。二晩続けてなんて、ジャワの音楽家は本当にタフです。

先生はよくワヤンの時のグンデルの弾き方のコツについて話をしてくださいます。まだレッスンは始まったばかりですが、ワヤン会場で先生の音に確かにそのエッセンスが散りばめられているのを聞くことができました。よくダランの様子をうかがって、音型を選んで弾いているということを先生は話していますが、そう思いながら聞くと、ますますグンデルはすごいなぁと思わずにはいられないのでした。

 

次回は何か上演以外のことにスポットを当ててみたいと思います。

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ワヤン上演のこと

最近ふたつのワヤン上演を観に行ったのでこちらのワヤンの様子について書きます。

 

わたしが勉強しているのは水牛の皮をなめして彩色した平面の人形を使うワヤン・クリッという芸能です。ダランと呼ばれる人形遣いと伴奏音楽ガムランから成ります。題材となる物語はインドの古代叙事詩《ラーマーヤナ》や《マハーバーラタ》です。ダランはよく人形遣いと説明されるのですが、実際は人形操作に加えて、同時に全ての人形の台詞や物語を語ること、さらには上演全体の進行を司り、伴奏音楽の構成も行います。音楽についてはダランが上演中に様々な手段を使って指示を出し、それらや語りは多くの場合即興で行われます。上演は一般的には21:00から翌朝3:00か4:00まで、一晩続きます。その間中、ダランは休みなく上演を続けるのです。わたしはこのダランの多様な能力にとても興味があり、ガムラン音楽とともに研究対象にしています。

 

ワヤンは結婚式や誕生日などの祝い事やお祓いなど様々な文脈で上演されます。ワヤンの会場は露店が並んだりもしてさながらお祭りのようです。誰でも無料で観ることができます。ワヤンの会場には子どもから大人までたくさんの人で溢れています。時にはお茶や食べ物まで出てくることも…!こちらはすべて主催者が料金を負担しているそうです。

 

↑というのがワヤンのざっくりとした紹介です。わたしはワヤンの会場の雰囲気も音楽も大好きで、ワヤンがあればあちこち観に行くという生活をしています。

 

まず10/8(月)にKi Cahyo Kuntadi というダランのワヤンを観に行きました。場所はPalur というわたしの大学から15分ほどのところ。

スピーカーがものすごくうるさかったことと(でもこれはワヤンの会場あるあるです…)本編とは関係ない娯楽の部分がとても長かったこと(おそらくスポンサーが多くてその紹介に時間がかかったいたようです)が少々残念でしたが、音楽の使い方がとても工夫されていて、とても興味深く楽しむことができました。

最近の傾向としては、創作曲短い形式の楽曲を何度も使うことが多いのですが、古典的な形式の曲が多用されているように感じました。また、ソロの様式に加えて、ジョグジャカルタの様式の楽曲も複数あり、日本で自分がワヤン公演に参加した時に用いられていた曲が登場した時はとても嬉しくなりました♪ ジョグジャの形式を取り入れるのはたまに見かける手法なので、もしかしたら最近のトレンドなのかもしれません。

次の日朝の7:30から授業だったので最後まで観られなかったのが残念です。(こちらの1限はめちゃくちゃ早いです…!)でも最後まで観た友人曰く、4:00頃まで盛り上がったのだとか。

 

本日(10/9(火))観たのはKi Jlitheng SuparmanというダランのWayang Kampung Sebelah(これはワヤンのジャンル名)このワヤンはテレビ番組から生まれた新しいタイプのワヤンで、人々の日常を風刺したものだそうです。今日のダランのSuparman はこのジャンルを確立した中心人物の一人で、テレビだけでなくこうして舞台でも上演されます。

人形が一般的なワヤンに比べてより人間に近いかたちをしているのに加えて、音楽もガムランを使わず、西洋楽器とジャワの太鼓で構成されています。

こちらは初めて観るのですが、 人形の動きや音楽を前面に出すと言うよりかは、ダランが登場人物のいずれかを使ってずーっと喋り続けているという印象です。言葉はジャワ語とインドネシア語を混ぜているみたいです。詳細はきちんとわからないのが歯がゆいですが…(!)ダランの語りに、子どもから大人まで会場中が大盛り上がりなので、面白いことを言っているようです。こういう面白いことを言って会場を沸かせることができるということもダランの重要な能力の一つと言えます。ジャワにいるあいだにこういう珍しい様式のワヤンもたくさん観られたらいいなぁ。

 

二つの上演は雰囲気が全然違うのですが、ジャワには後者のような新しい様式のワヤンもいくつか存在しています。また前者のようなワヤンの中でも、創作曲を使ったり、地方の様式が取り入れられたりもして、新しい試みや変化に対して寛容であるというのがジャワの特徴なのかもしれません。

 

ワヤンはこれからもよく観に行くことになりそうなので、引き続きまた紹介していきたいです!

 

ではまた(^^)

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留学一ヶ月目を終えて

中部ジャワのスラカルタ(ソロ)での留学生活が始まり、早一ヶ月が経ちました。少々落ち着いてきたので、ブログを始めることにしました。日本でお世話になっている方々に気軽にこちらの様子を覗いていただけるようにという思いと、ジャワでの生活のことを発信することで、より多くの人にジャワの音楽やワヤン、文化や生活に興味を持っていただければいいなという思いが背景にあります。また、今後インドネシアに留学したい人の参考になればとも思っています。

 

わたしはジャワのガムランという伝統音楽とワヤン・クリッという影絵芝居を専門に勉強している大学院生です。日本の大学では音楽学を専攻しています。現在は、ワヤンの人形遣いであるダランの実技とガムランの演奏を実践的に学ぶため、ソロの芸術大学のダラン科に留学中です。

 

今回は初回なのでこの一ヶ月のことをまとめて。

到着直後体調を崩したりもしましたが、毎日元気に大学に通っています。

わたしはものすごく心配性なので、不安でいっぱいでしたが、生活にも授業にも少しずつ慣れてきました。飛び込んでしまえばどうにかなるものなのかもしれません。それは、その時その時に助けてくれる人がいるからでもあります。ジャワの人たちは親切にしてくれる方が本当に多くて、本当にありがたいです。

 

授業のことは機会を改めて詳しく書こうと思いますが、ダラン科の授業は興味深く、楽しいですがやはり難しいです。学生たちは能力の高い人ばかりだと感じます。それでも、折にふれて、今まで6年ガムランを続けてきたことや、何度もジャワでレッスンを受けてきた自分の経験に助けられることもあり、地道に頑張ってきてよかったなと思ったりもします。そして、一緒にジャワに連れて行ってくださった先輩方には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

大学でワヤンのことを勉強して、夜はレッスンを受けたり、練習に行ったり、ワヤンの上演やガムランの演奏会など各種イベントに行ったりと、一日中好きなことを考えていられる毎日、幸せです。(それぞれのことも後日詳しく紹介していきます。)

 

この一ヶ月で痛感したのは、言葉の壁。

まずここにきて、英語が中途半端だということに気づかされるとは思いませんでした。結構、色々な国の留学生がいて、インドネシア語が全くできない彼ら(それでとりあえずジャワに来てしまう人が多くて驚いた…。)とは英語で話すのですが、話そうと思うと時間をかけないと言葉が出てこない。言われていることは分からなくはないのに、いかに自分が英語で話すことに慣れていないのかということを実感する日々でした。できないなりに頑張ってみたけれども、歯がゆい思いをたくさんしました。

インドネシア語も自分で自分で勉強したり、留学前にしばらくレッスンに通ったりして準備はしてみたものの、大事なことは理解できるけれども、細かな表現や、ぼそぼそっと早口で喋ることの多いインドネシア人に話しかけられるとうまくいかないという状況に、よく陥りました。

時には「きみは、インドネシア語できなくはないけど流暢ではないね。」なんて言われてしまうこともあり、悔しい思いをたくさんした一ヶ月でした。なので、暇を見つけては練習の傍ら勉強も続けています。それでも聞こえなかった単語が聞こえてくるようになって、語彙が増えたり、先生の言っていることが前より格段に速く理解できるようになったりと少しずつ進歩はしているのかなと。

ちょいちょいジャワ語に触れることも多いので、勉強を進めなければと思っているところです。

 

修行にせよ言語にせよ謙虚な気持ちでコツコツ勉強を続けたいです。

 

今回はこのくらいにして、いくつかこちらの様子の写真も載せたいと思います。(大学の授業の様子、ワヤン上演、食べ物)

毎日は難しいかもしれませんが毎回何か一つテーマを絞ってこちらの生活のことを書いていきたいと思います。

 

今後ともどうぞよろしくお願いします:)

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