mainichiwayang’s diary

ジャワでダランとガムラン修行中の大学院生です:)

Hari Wayang Dunia ①

大学でHari Wayang Dunia (世界ワヤンの日)というイベントが開催されたので今回はそれについて書きたいと思います。

11/6〜9 の4日間、ジャワやバリの様々な様式のワヤンが集められ、連日昼間から深夜まで上演が行われました。8日には自分自身もダランとして上演を行いました。自分自身の準備をしていたこともあり、全部は観られなかったのですが、いくつか面白かったものをピックアップしてみます。

 

f:id:mainichiwayang:20181110202950j:image

多くの公演が、写真のような7つの言語による同時通訳つきでした。これで普段は何を言っているのかよくわからなかったのですが、内容の細部まで楽しむことができました。ただ、字幕があると字幕を観てしまいがちになり、ワヤンの動きをきちんと追えないこともあるので、やはりジャワ語を頑張らねばと思ったのでした。

 

1日目はまず、目玉公演としてマンタップ・スダルソノのルワタンの上演がありました。ルワタンは厄払いのために行われる儀式的な性格をもつワヤンです。何か問題を抱えている人や、スケルトという厄があるとされる条件に当てはまる人のためにこのワヤンを上演し、災厄を取り払います。会場に入ると、白い布をまとったお祓いを受ける人々がずらりと並んでいました。このスケルトというのは一般には25個の条件があり(兄弟の人数や生まれた順番、生まれた時間帯や親を亡くしているかどうかなど)条件がかなり多いので大分色々な人が当てはまりそうです…。話の中にダラン自身が自分の出自やダランとしての系譜を語るところがあるのですが、ダランとして、特に儀式を司る祭司としての役割はやはりダランの血統が重視されるのだということを実感しました。ワヤンの終わりには、ダランがスケルトたちの髪を切り、聖水をかけるという一幕も。このような、儀礼の執行者としてのダランという側面はなかなか見ることができないので、貴重な経験となりました。

f:id:mainichiwayang:20181110203925j:image
f:id:mainichiwayang:20181110203932j:image

夜は開会式があり、ダラン科や舞踊科、演劇科の学生や先生たちがワヤンとダンスをコラボレーションさせた演技をしていて、とても鮮やかでした。

 


f:id:mainichiwayang:20181110205302j:image

f:id:mainichiwayang:20181110205312j:image

f:id:mainichiwayang:20181110205422j:image

 

その後一時間半ずつ、4つのワヤン公演がありました。見せ場が多いからなのか、この日に限らず、多くの公演でバラタユダ(マハーバーラタの大戦争の場面)の一場面が演目として取り上げられていたのが気になりました。いくつか印象に残ったものを書いていきます。

一つ目はワヤン・ベベルで伝統的なものと、新しいスタイルのものを組み合わせて上演されていました。ワヤン・ベベルは絵巻物のようなものを用い、紙芝居のようにダランが語りを行い、物語を進めていくワヤンの形式です。まず、伝統的な形式では、ダランが語りの部分でも少し歌うような節のある語りをしていたところが興味深いと思いました。一方、新しいスタイルの上演では若いダランが絵巻物の向こうと観客側を行ったり来たりして、ダイナミックな語りを展開していたのが印象的でした。音楽はジャワの太鼓を使っていましたが、ほかにベースやヴァイオリンが入ったりして、なんとも不思議な響きでした。伝統的なスタイルの伴奏をしている太鼓奏者のおじいさんが、隣で行われている現代的なスタイルの上演を不思議そうに見ているのには、思わず笑ってしまいました…。

 

f:id:mainichiwayang:20181110211241j:image
f:id:mainichiwayang:20181110211140j:image

 

この日の最後に行われたボヨラリ出身のKi Sri SusiloによるWerkudara Kembar は大盛り上がりでした。語りが面白く、戦いの場面の間にも少し笑ってしまうような面白い動きを入れたりして、深夜にもかかわらず、お客さんが大勢いました。また、個人的にはこの人のスルック(ダランの歌)が特徴的で気になりました。というのは大分節回しが細かく、高い音で歌っている時間が長かったということと、スルック全体が長いという傾向にあったからです。スラカルタ様式のワヤンということでしたが、スルックは色々なんだなということと、この色々はどこからくるのか、ますます興味が湧きました。

f:id:mainichiwayang:20181110212420j:image

 

二日目(7日)は朝から深夜までワヤンの公演がありました。昼間は子供のワヤンがメインでした。小学生や中学生の男の子がダランをするのですが、人形さばきや合図の出し方など大人顔負けで、力強い上演をしていました。ただ、声変わりする前の小学生の男の子にはスルックを歌うのは難しいのかなと感じました。それでもひとつの舞台をこうしてやりきるエネルギー、ダランは子供の頃からすごい力を持っているのだということを実感させられました。普段は学生と関わっているのですが、いつかこういう小さな子供についても、ダランの修行のことを取材してみたいです。

f:id:mainichiwayang:20181110213215j:image
f:id:mainichiwayang:20181110213211j:image 

 

夜もいくつか公演を観たのですが、一つ紹介したいと思います。それはISIの学生のSeruni Widawatiさんの上演です。ジョグジャ出身の双子の女の子がダラン科にいるのですが、その一人がダランをしていて、もう一人が太鼓を叩いていました。わたしがダランの練習をする時にも二人が太鼓やそのほかの楽器で手伝ってくれたことがあり、またこの公演に同じ授業を受けているダラン科の女の子がシンデン(女性の歌)として参加していたので、ダランは本当に何でもできる人が多いのだなと思いました。今回の演目では、戦いの場面や鬼が出てくる場面も多く、色々な声を上手く演じ分けているところが素晴らしいと思いました。鬼が叫ぶ声は女の人には難しいと思うので(自分でそう思います)イメージが作れて、参加にできそうなのでよかったです。太鼓奏者と息がぴったりなのも双子ならではだと感じました。


f:id:mainichiwayang:20181110214709j:image

f:id:mainichiwayang:20181110214712j:image

f:id:mainichiwayang:20181110214715j:image

 

3日目(8日)はワヤンを上演する機会をいただいたのですが、それについては別で詳しく書こう思います。

同じ留学生のズーザもわたしの前に公演したのですが、ガムランもワヤンも初めてという彼女がほんの2ヶ月で出陣の場面をマスターしてしまったことは本当に驚きました。当日、本当に堂々と演技していて、さすがだなと思いました。

f:id:mainichiwayang:20181110215853j:image
f:id:mainichiwayang:20181110215857j:image

 

この日は午後、ワヤン・ゴレッ(木偶人形)の上演がありました。まとまった演目を観るのは初めてだったので、とても嬉しく鑑賞しました。立体の人形が舞い踊るのは、いつものワヤンクリッとは違った美しさがあり、これもまた素敵だなと思いました。より戦わせるのが難しいのではないかと思うのですが、二体の人形が戦ったりもしていて、圧倒されました。


f:id:mainichiwayang:20181110220231j:image

f:id:mainichiwayang:20181110220237j:image

 

最終日は、日中はプンドポでは上演はなく(その理由はあとからわかるのですが…!)Teater Besar というホールでワヤンがありました。Wayang Kruci といジャンルのもので、kediri地方のダランKi Harjito がパンジ物語を題材にしたラコンを上演しました。このワヤンは初めて観ましたが、地方の様式のようでグヌンガンも植物か鳥の羽根で作った特殊なものを使っていました。(遠かったのでどちらかわかりませんでした…)人形も厚みがあるものを使っているように見えたのでもしかしたら木製だったのかもしれません。何より驚いたのは幕を使わないこと。左右には幕があったのですが、ダランが使う部分は幕がありませんでした。ワヤン・クリッの場合は幕をうまく使って人形を操作する部分も大きく、特に戦いの場面は幕がないと難しいと感じます。しかし、今回の上演では、幕がなくても巧みに戦いの場面が演じられていて、拍手がわき起こるほどでした。楽器は普段使っているガムランと同じものを使っていましたが、スルパガンやサンパらしき楽曲は全く違うものでした。スルックは中部ジャワのものと比べると全体に長く、途中サロンが入ったりするものもあり、興味深かったです。地方様式の多様性があるというところもワヤンの魅力のひとつだと言えるでしょう。


f:id:mainichiwayang:20181111021001j:image

f:id:mainichiwayang:20181111020953j:image

f:id:mainichiwayang:20181111021007j:image

この日の夜はプンドポで閉会式がありました。なぜ昼間はプンドポでの公演がなかったのか、夜プンドポを訪れるとその理由がわかりました。プンドポの全面にクリルが張られ、建物にいつもはない壁があるかのようになっていました。そしてそのクリルの両面全部にずらっと人形が並べられていたのです。昼間公演がなかったのは、この大掛かりな準備に追われていたからでしょう。ワヤンの公演に行くとクリルの左右に、人形が規則正しく並べられているのを見ることができますが(これをシンピンガンといいます)このシンピンガンがとても大事にされているということがなんとなくわかった気がしました。わたしの知っているダランで、シンピンガンを数えるのが大好きなダランがいますし、最近読んだ本では人形の説明のところにいちばんにシンピンガンの説明が長々と書かれていたこともあり、シンピンガンは、思っていたよりもずっと大切なものなのかもしれないと思いました。

 


f:id:mainichiwayang:20181111021109j:image

f:id:mainichiwayang:20181111021106j:image

f:id:mainichiwayang:20181111021115j:image

閉会式でも学生達のパフォーマンスがありました。サックス、ワヤンを使ったダンスと竹の楽器とのコラボレーション。こういう演出、よく思いつくなぁと感心しました。


f:id:mainichiwayang:20181111021146j:image

f:id:mainichiwayang:20181111021138j:image



その後、ワヤンの中でダゲラン(お笑い芸人)としてよく登場するKirun が出てきて、しばらく演説のような話をしていました。詳しくはわかりませんでしたが、ダゲランのことを話していたようなので、ダゲラン自身も思うところがあるのだなと思いました。ここはわたし自身も非常に気になるところです。

 

最後に、Wayang Kolaborasi というジャンルのワヤンが上演されました。これは、3人のダランが(2人でやることもあるのでいつも3人ではない)共同で一つの物語を進めるワヤンです。3つずつ同じ人形が用意してあり、同じキャラクターを3人で演じることもあれば、広い一つのスクリーンを共有して、別々のキャラクターをそれぞれのダランが演じ分けることもあって、華やかで観ていて面白かったです。

Wayang kolaborasi に限らない話なのですが、こういう大掛かりで驚くような演出をやってのけてしまうジャワの人たちはとてもエネルギーがあるなと思います。また、学生たちの開閉会式でのパフォーマンスを観て、ワヤンそれ自体だけでなく、舞踊や演劇、西洋の楽器と、ワヤン以外の要素とのコラボレーションが行われ、それが大学のフェスティバルのとしてよしとされているということが興味深いと思いました。いわゆる“伝統的なもの”だけでなく、その他のものとも融合することが認められる、ジャワのワヤンの世界はこういう新しいもの、クリエイティブな姿勢がどんどん許容される世界であるということは、一つ言えることかもしれません。

 


f:id:mainichiwayang:20181111021255j:image

f:id:mainichiwayang:20181111021259j:image

長々書いてしまいましたが、ジャワのワヤンはこれからも色々な変化や新しいものを巻き込みながら、ずっと継承されていくのだろうなと思います。わたし自身も、勉強を続け、見えるもの、聞こえるものを増やしながら、ワヤンの変化を見守っていきたいと思います。