mainichiwayang’s diary

ジャワでダランとガムラン修行中の大学院生です:)

Setuponan

最近なかなか更新できていませんでしたが、Setuponanという演奏会に出演する機会を得たので、そのことについて書こうと思います。

 

ジャワの暦のことはまだきちんと理解できていないのですが、これは35日に一度訪れる土曜日(Setu)のことだそうで、マンクヌガラン王宮では、その前日の金曜日にガムランの演奏会が、当日にはガムランと舞踊の上演が行われます。

 

マンクヌガラン王宮の東門を入ったところにある小さなプンドポでは週に二回、ガムランと舞踊の練習会が開かれています。先生ご夫妻の熱心なご指導のもと、舞踊、ガムラン共に初心者から経験の長い人まで、幅広い世代の人が参加していて、活気があり、素敵な機会です。色々な舞踊曲を生の舞踊と一緒に練習できる機会は本当に勉強になります。わたしはジャワに行くたび、こちらの練習会にはよくお世話になっていたのですが、前回書いたワヤンの上演のための練習が不定期に入り、留学を開始してからはあまり練習に参加できていませんでした。ここ二週間ほど、やっと毎回行けるようになってきたところのSetuponanでした。

 

というわけで、そこまで練習に行けていたわけではなかったので、今回の本番は当日の朝まではお客さんとして観に行く気満々でいたのですが。当日の朝、儀式曲を練習する別の練習に行って、帰りに先生方にご挨拶をしようとしたら、先生方が

「あなたも今日の夜の本番一緒に演奏しましょう。」

とおっしゃったのでした…。そのつもりはなかったのでとても驚き、あまり練習に行けていなかったので最初は断ろうとしたのですが、先生方の勢いにおされてそれはできず、サロンという鍵盤楽器で参加することになりました。他にも同じ楽器を演奏する人がいたのと、隣で先生が演奏したり合図をしてくださったことが幸いでした。

 

曲目はスリンピ・パンデロリSrimpi Pandheloriとクロノ・パンジKlono Panjiという雰囲気の異なる二つの舞踊でした。前者は王宮に伝わる女性四人の戦いの踊りで優美な雰囲気の中に緊張感が漂います。後者クロノはパンジ物語に登場する王の名前で、荒型の男性舞踊です。舞踊に関してはあまり知識がなく、詳しくはわからないのですが、この舞踊ではクロノと共に、優型の男女(パンジ王子とスカルタジ姫でしょうか…)が登場します。

 

この二曲を演奏するということだけは知らされていて、確かに前回の練習でも練習をしていたのですが、いざ、ドキドキしつつ待機していると、舞踊の人たちが登場していないにも関わらず、いきなり演奏が始まってしまったのです。一瞬焦りましたが、すぐにググルグヌンGugur Gunugという曲だと分かったので、演奏についていきました。その後も、打ち合わせなしにウィルジュンWilujengやグレヨンGleyongという曲も演奏して、やっとスリンピの演奏になったのでした。

 

本番の会場はいつも練習するプンドポだったのですが、私はここが大好きで、初めてジャワを訪れた時もここの音響が強く印象に残るほどで、思いがけずここで初めての本番を迎えて感慨深い思いがしました。特にスリンピは、わたしの中で日本にいた時に、とても出たかったのに出られなかった本番で演奏していた曲というイメージが強かったのですが、今回新しく楽しい思い出が刻まれることとなりました。夕方、プンドポの中に音が立ちのぼるのは非常に美しいものだなと改めて感じました。機会があれば、ガムランを演奏している人はぜひ、ジャワのプンドポでガムランを聴いてほしいなといつも思います。

 

また、隣で先生の息遣いを感じられたことも忘れられない経験になりました。先生は、ご高齢で手が思うように動かなくなってきているそうなのですが、そのような中でも、毎回熱心にご指導してくださっています。普段は演奏に加わることはなく、アドバイスをくださるだけなのですが、今回はわたしの隣で、一緒にサロンを演奏されました。曲全体ではなく、要所要所だけでしたが、先生の音は芯がしっかりとしていてよく響き、また音だけでなく身振りや息遣いにも楽隊を導く気迫を感じました。その絶妙な緊張感は、熟練した先生ならではのものだと思います。(言葉にすると何だか安っぽくなってしまう気がするのが歯がゆいです。)そういう気迫や息遣い、ジャワの音楽家同士のやりとりは今しか感じることのできないものなのだなと、ジャワの音楽家の近くにいられる今をより大切にしていこうと気持ちを新たにしました。

 

一つ思ったのは本番に対する考え方の違い。日本だと曲の完成度はもちろん、どのくらい練習に出席したかということをかなり大事にするのが普通だと思います。ですが、今回のわたしは正直飛び入り参加だったし、その上何曲も打ち合わせになかった曲を演奏し、演奏中にも遅れて来た奏者が曲の途中で演奏に加わって来たりもして、なんだかとても不安定な要素が多いと感じました。わたしが出てもいいのか、確認もしましたが、いきなり来た外国人のわたしが本番にのってもtidak apa-apa(インドネシア語で大丈夫という意味)なのです。前回のワヤン上演然り、技術が拙くてもどんどん本番に出してしまうというのはこちらの一つの特徴なのかもしれません。こういうシチュエーションは、ドキドキが止まりませんが、わたしのように勉強中の学生にとってはとてもありがたいことでもあります。

 

今回の機会に感謝し、次またどこかで呼んでもらえるように、またさらに技術を磨いていきたいです。

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