mainichiwayang’s diary

ジャワでダランとガムラン修行中の大学院生です:)

Hari Wayang Dunia ②

前回はHari Wayang Dunia 全体のことを書きましたが、今回は11月8日(木)に自分が上演したワヤンのことについて書きたいと思います。

 

今年の春にジャワに行ってワヤンの先生にレッスンを受けた時、11月にワヤンのフェスティバルがあるから、留学したら出るようにと先生に言われ、その時はイメージができず、ああそうなのかくらいに思っていたのですが…。

 

10月くらいからダラン科はずっとHWDモードで、学生も先生も授業が終わると毎日それぞれの準備や練習をし、少しずつ盛り上がっていく様子を見て、事の重大さがわかっていきました。実際当日舞台を見ると、大きなプンドポの中に3つのクリルが張られ、とても大掛かりなフェスティバルでした。特に一番奥のクリルは枠に金色のガラスの装飾も付いていてキラキラ光り輝いている…!一体私はどのクリルを使うのかなと思っていたら、なんとそのいちばん立派なクリルだったので、本当に驚きました。マンタップさんやプルボさんが使ったのと同じクリルだったのですから…!

 

当日はジャワの正装でということだったので朝からダラン科の女の子たちが手伝ってくれて、着付けをしました。クバヤとカイン(レースのブラウスみたいなものと巻きスカート)は何度も着たことがあったのですが、今回サングル(女性の伝統的な付け毛)を初めてつけました。(ずっとつけてみたくて、大分前から楽しみにしていました…!)ジャワのお姫様気分で、それだけでわくわくしますね。ただ、頭が重くなって大変かなと思っていたのですが、実際つけてみるとそうでもなく、どちらかというと慣れない付けまつ毛が目に入ってビビったのは内緒…。

 

ワヤンの実技は2015年の春に始めました。その当時、ワヤンやガムランとの向き合い方が一瞬わからなくなって苦しい思いをした時期があったのですが、その時に、ワヤンも自分でやってみたらもっとわかるようになるかもしれない、道が拓けるかもしれない、そういう思いでワヤンの実技を習うようになりました。最初はそれだけで、今思うとなかば勢いだけで飛び込んでしまったような感じがします。人形操作をすること自体も難しいのに、歌を歌ったり、全キャラクターのセリフを言ったり、両手両足を全部使いながらガムランに指示を出したりもするからです。相当大変だということは考えればわかったはずなのに、気がついたらワヤンを習い始めていた自分がいて、自分で驚いたこともありました…笑

 

というわけなのでもう始めて3年は経っているのですが、留学前は年に一二回しかジャワには行けなかったので、少しずつ少しずつ練習を進めてきました。短期で行くたび、先生が何度も繰り返し教えてくださったのと、わたしが所属する日本のガムラン・グループ・ランバンサリの方が練習や発表の機会を作ってくださったお陰で短いワヤンができるくらいには勉強を進めることができました。これまではほとんど人形操作をするという部分がメインで、語りや音楽との関係はまだまだ不十分というのが、留学前の状態でした。

 

今回、正直できるかとても不安だったのですが、先生のアドバイスもあり、Banbangan dan Panakawan からPerang Kembang (アルジュノとポノカワンの道行きからチャキルとアルジュノ、ラクササによる華の戦い)を演目に選ぶことになりました。Perang Kembang は、ワヤンの中でもいちばん難しいと言われる戦いの場面です。二体の人形が戦い、人形の手に付いている棒をぶつけたり、短剣や矢などの小道具を使ったりもするので、一つ一つの動きが本当に難しかったです。今年の春に少し練習を始めたのですが、初めは片手で人形を持つことさえもままならず、人形が戦っているように見えるまでに大分時間がかかったように思います。9月は先生の都合であまりレッスンができず、戦いの場面のほとんどを10月に追加したので、一時はどうなることかと不安になりましたが、なんとか形になったのでほっとしています。しかも今回は“ジャワ語で語る”ということにもチャレンジしました。当初は人形を動かし、途中歌を歌うだけの予定だったのに、「授業で使っている台本通りでいいから喋りなさい。」と先生からの司令が…。事あるごとに色々な要素がどんどん追加され、最初は30分以内ということだったのに、気がつけば40分くらいの上演になってしまいました。レッスンの時にはこれまであまり指摘されなかった合図のことや、音楽の拍を意識することなどを注意するようにとの指導が増え、大変ではあるけれども、人形を動かすことに留まらず、自分が次のステージに進みつつあるということがわかって嬉しくなりました。

 

とは言えキャラクターの声の作り方やジャワ語にはまだまだ不慣れだし、合図もうまくいかなかった部分もあるので、まだまだ修行が必要だなと思いました。

 

本番にはやはり魔物がいるようで、練習の時には忘れなかったチャキルとアルジュノの対話をまるまる忘れて次の曲(スルパガン)の合図を出してしまいました。想定外だったので気づいた時には自分でもびっくりしました。ところが、魔物もいるけれど神さまもいるらしく、語りを忘れているぞとチャキルの声が聞こえてきました。そして、スルパガンはふっとシルップ(語りを入れるためにガムランの音が小さくなること)になり、わたしはなんとか語りを入れることができたのでした。

 

人形がいい人形すぎて焦ったなぁ、チャキルがいつものチャキルの顔と全然違かったのです…。

 

実はこのようなハプニングもあったのですが、無事ジャワでのプンドポデビュー公演を終えることができました。

観ていた留学生の友人の一人が、「あんなに人形を激しく戦わせるなんて、普段のあなたからは想像できないから本当に驚いたよ、プロフェッショナルだね!」とベタ褒めしてくれたのがとても嬉しかったです。(※わたしは全然プロフェッショナルではないけれど。)

 

本当に普段のわたしは人の前に出る性格でもないし、どちらかというと恥ずかしくて土に埋まりたいと思いながら生きているのに、一方で、そんなわたしが気がついたらダランを勉強している…。やっぱり今回の舞台が本当に楽しくて、いつか機会があるならまたやりたいと思っているわたしがいるので、人生って本当に何があるかわからないなと思います。

 

今回はわたしの前にハンガリーからの留学生ズーザZsuzsa も出陣の場面を上演しました。ガムランもワヤンも初めてだという彼女は、ダラン科のジョコリアントJaka Rianto先生が留学生のために開いてくださっていた練習会の中で、今回の上演に大抜擢されました。2ヶ月ないくらいの時間で人形を動かすだけでなく、歌ったり、語りを入れたりもしていて、彼女の物覚えの速さに圧倒されました。わたしはどちらかというと不器用な方なので…。本番、本当に堂々としていて素敵でした。わたしの大好きなドゥルソソノが出てきた時には本当にわくわくしました。

 

自分の不器用さに目がいってしまうこともあるけれど、色々な国の友人と出会い、ワヤンやガムランのよさを分かち合えることは本当に素晴らしい時間だと思います。今回、何人もの留学生仲間がガムランの伴奏を手伝ってくれて(しかもその一人はグンデルを弾いてくれて)それもまた楽しい経験になりました。また、練習ではたくさんの学生も手伝ってくれて、たくさんあたたかい励ましの言葉をかけてもらいました。素晴らしい環境に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

留学早々贅沢な経験をさせていただいたこと、本当にありがたいことです。あの舞台でワヤンをしたこと、一生忘れないと思います。今回のために、何度も留学生を指導してくださったジョコリアント先生、お忙しい中レッスンしていただき、熱心に教えてくださったハリヤディ先生に心から感謝の意を表したいと思います。

 

こういう素敵な環境にいられることに感謝し、またいつかジャワや日本でワヤンができるように、今後も日々修行を頑張りたいです!

 

長々すみません、また書きます(^^)

 

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Hari Wayang Dunia ①

大学でHari Wayang Dunia (世界ワヤンの日)というイベントが開催されたので今回はそれについて書きたいと思います。

11/6〜9 の4日間、ジャワやバリの様々な様式のワヤンが集められ、連日昼間から深夜まで上演が行われました。8日には自分自身もダランとして上演を行いました。自分自身の準備をしていたこともあり、全部は観られなかったのですが、いくつか面白かったものをピックアップしてみます。

 

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多くの公演が、写真のような7つの言語による同時通訳つきでした。これで普段は何を言っているのかよくわからなかったのですが、内容の細部まで楽しむことができました。ただ、字幕があると字幕を観てしまいがちになり、ワヤンの動きをきちんと追えないこともあるので、やはりジャワ語を頑張らねばと思ったのでした。

 

1日目はまず、目玉公演としてマンタップ・スダルソノのルワタンの上演がありました。ルワタンは厄払いのために行われる儀式的な性格をもつワヤンです。何か問題を抱えている人や、スケルトという厄があるとされる条件に当てはまる人のためにこのワヤンを上演し、災厄を取り払います。会場に入ると、白い布をまとったお祓いを受ける人々がずらりと並んでいました。このスケルトというのは一般には25個の条件があり(兄弟の人数や生まれた順番、生まれた時間帯や親を亡くしているかどうかなど)条件がかなり多いので大分色々な人が当てはまりそうです…。話の中にダラン自身が自分の出自やダランとしての系譜を語るところがあるのですが、ダランとして、特に儀式を司る祭司としての役割はやはりダランの血統が重視されるのだということを実感しました。ワヤンの終わりには、ダランがスケルトたちの髪を切り、聖水をかけるという一幕も。このような、儀礼の執行者としてのダランという側面はなかなか見ることができないので、貴重な経験となりました。

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夜は開会式があり、ダラン科や舞踊科、演劇科の学生や先生たちがワヤンとダンスをコラボレーションさせた演技をしていて、とても鮮やかでした。

 


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その後一時間半ずつ、4つのワヤン公演がありました。見せ場が多いからなのか、この日に限らず、多くの公演でバラタユダ(マハーバーラタの大戦争の場面)の一場面が演目として取り上げられていたのが気になりました。いくつか印象に残ったものを書いていきます。

一つ目はワヤン・ベベルで伝統的なものと、新しいスタイルのものを組み合わせて上演されていました。ワヤン・ベベルは絵巻物のようなものを用い、紙芝居のようにダランが語りを行い、物語を進めていくワヤンの形式です。まず、伝統的な形式では、ダランが語りの部分でも少し歌うような節のある語りをしていたところが興味深いと思いました。一方、新しいスタイルの上演では若いダランが絵巻物の向こうと観客側を行ったり来たりして、ダイナミックな語りを展開していたのが印象的でした。音楽はジャワの太鼓を使っていましたが、ほかにベースやヴァイオリンが入ったりして、なんとも不思議な響きでした。伝統的なスタイルの伴奏をしている太鼓奏者のおじいさんが、隣で行われている現代的なスタイルの上演を不思議そうに見ているのには、思わず笑ってしまいました…。

 

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この日の最後に行われたボヨラリ出身のKi Sri SusiloによるWerkudara Kembar は大盛り上がりでした。語りが面白く、戦いの場面の間にも少し笑ってしまうような面白い動きを入れたりして、深夜にもかかわらず、お客さんが大勢いました。また、個人的にはこの人のスルック(ダランの歌)が特徴的で気になりました。というのは大分節回しが細かく、高い音で歌っている時間が長かったということと、スルック全体が長いという傾向にあったからです。スラカルタ様式のワヤンということでしたが、スルックは色々なんだなということと、この色々はどこからくるのか、ますます興味が湧きました。

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二日目(7日)は朝から深夜までワヤンの公演がありました。昼間は子供のワヤンがメインでした。小学生や中学生の男の子がダランをするのですが、人形さばきや合図の出し方など大人顔負けで、力強い上演をしていました。ただ、声変わりする前の小学生の男の子にはスルックを歌うのは難しいのかなと感じました。それでもひとつの舞台をこうしてやりきるエネルギー、ダランは子供の頃からすごい力を持っているのだということを実感させられました。普段は学生と関わっているのですが、いつかこういう小さな子供についても、ダランの修行のことを取材してみたいです。

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夜もいくつか公演を観たのですが、一つ紹介したいと思います。それはISIの学生のSeruni Widawatiさんの上演です。ジョグジャ出身の双子の女の子がダラン科にいるのですが、その一人がダランをしていて、もう一人が太鼓を叩いていました。わたしがダランの練習をする時にも二人が太鼓やそのほかの楽器で手伝ってくれたことがあり、またこの公演に同じ授業を受けているダラン科の女の子がシンデン(女性の歌)として参加していたので、ダランは本当に何でもできる人が多いのだなと思いました。今回の演目では、戦いの場面や鬼が出てくる場面も多く、色々な声を上手く演じ分けているところが素晴らしいと思いました。鬼が叫ぶ声は女の人には難しいと思うので(自分でそう思います)イメージが作れて、参加にできそうなのでよかったです。太鼓奏者と息がぴったりなのも双子ならではだと感じました。


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3日目(8日)はワヤンを上演する機会をいただいたのですが、それについては別で詳しく書こう思います。

同じ留学生のズーザもわたしの前に公演したのですが、ガムランもワヤンも初めてという彼女がほんの2ヶ月で出陣の場面をマスターしてしまったことは本当に驚きました。当日、本当に堂々と演技していて、さすがだなと思いました。

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この日は午後、ワヤン・ゴレッ(木偶人形)の上演がありました。まとまった演目を観るのは初めてだったので、とても嬉しく鑑賞しました。立体の人形が舞い踊るのは、いつものワヤンクリッとは違った美しさがあり、これもまた素敵だなと思いました。より戦わせるのが難しいのではないかと思うのですが、二体の人形が戦ったりもしていて、圧倒されました。


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最終日は、日中はプンドポでは上演はなく(その理由はあとからわかるのですが…!)Teater Besar というホールでワヤンがありました。Wayang Kruci といジャンルのもので、kediri地方のダランKi Harjito がパンジ物語を題材にしたラコンを上演しました。このワヤンは初めて観ましたが、地方の様式のようでグヌンガンも植物か鳥の羽根で作った特殊なものを使っていました。(遠かったのでどちらかわかりませんでした…)人形も厚みがあるものを使っているように見えたのでもしかしたら木製だったのかもしれません。何より驚いたのは幕を使わないこと。左右には幕があったのですが、ダランが使う部分は幕がありませんでした。ワヤン・クリッの場合は幕をうまく使って人形を操作する部分も大きく、特に戦いの場面は幕がないと難しいと感じます。しかし、今回の上演では、幕がなくても巧みに戦いの場面が演じられていて、拍手がわき起こるほどでした。楽器は普段使っているガムランと同じものを使っていましたが、スルパガンやサンパらしき楽曲は全く違うものでした。スルックは中部ジャワのものと比べると全体に長く、途中サロンが入ったりするものもあり、興味深かったです。地方様式の多様性があるというところもワヤンの魅力のひとつだと言えるでしょう。


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この日の夜はプンドポで閉会式がありました。なぜ昼間はプンドポでの公演がなかったのか、夜プンドポを訪れるとその理由がわかりました。プンドポの全面にクリルが張られ、建物にいつもはない壁があるかのようになっていました。そしてそのクリルの両面全部にずらっと人形が並べられていたのです。昼間公演がなかったのは、この大掛かりな準備に追われていたからでしょう。ワヤンの公演に行くとクリルの左右に、人形が規則正しく並べられているのを見ることができますが(これをシンピンガンといいます)このシンピンガンがとても大事にされているということがなんとなくわかった気がしました。わたしの知っているダランで、シンピンガンを数えるのが大好きなダランがいますし、最近読んだ本では人形の説明のところにいちばんにシンピンガンの説明が長々と書かれていたこともあり、シンピンガンは、思っていたよりもずっと大切なものなのかもしれないと思いました。

 


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閉会式でも学生達のパフォーマンスがありました。サックス、ワヤンを使ったダンスと竹の楽器とのコラボレーション。こういう演出、よく思いつくなぁと感心しました。


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その後、ワヤンの中でダゲラン(お笑い芸人)としてよく登場するKirun が出てきて、しばらく演説のような話をしていました。詳しくはわかりませんでしたが、ダゲランのことを話していたようなので、ダゲラン自身も思うところがあるのだなと思いました。ここはわたし自身も非常に気になるところです。

 

最後に、Wayang Kolaborasi というジャンルのワヤンが上演されました。これは、3人のダランが(2人でやることもあるのでいつも3人ではない)共同で一つの物語を進めるワヤンです。3つずつ同じ人形が用意してあり、同じキャラクターを3人で演じることもあれば、広い一つのスクリーンを共有して、別々のキャラクターをそれぞれのダランが演じ分けることもあって、華やかで観ていて面白かったです。

Wayang kolaborasi に限らない話なのですが、こういう大掛かりで驚くような演出をやってのけてしまうジャワの人たちはとてもエネルギーがあるなと思います。また、学生たちの開閉会式でのパフォーマンスを観て、ワヤンそれ自体だけでなく、舞踊や演劇、西洋の楽器と、ワヤン以外の要素とのコラボレーションが行われ、それが大学のフェスティバルのとしてよしとされているということが興味深いと思いました。いわゆる“伝統的なもの”だけでなく、その他のものとも融合することが認められる、ジャワのワヤンの世界はこういう新しいもの、クリエイティブな姿勢がどんどん許容される世界であるということは、一つ言えることかもしれません。

 


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長々書いてしまいましたが、ジャワのワヤンはこれからも色々な変化や新しいものを巻き込みながら、ずっと継承されていくのだろうなと思います。わたし自身も、勉強を続け、見えるもの、聞こえるものを増やしながら、ワヤンの変化を見守っていきたいと思います。

 

ジャワの結婚式

先日ワヤンのレッスンに行ったら、先生から「日曜日の夜に息子の結婚式をするからおいで。」と、結婚式に招待していただきました。今回はジャワの結婚式がどんな様子なのか書いてみたいと思います。

 

今回の会場は大学のプンドポでした。(ジャワの伝統的な柱と屋根だけの吹き抜けのような建物。ガムランをはじめ色々な催しで使われます。)以前ほかの方がホテルで結婚式をした時に見に行ったことがあったので、ちょっと驚きました。少し出店が出ていたりして、さながらお祭りのよう。かなり大きなプンドポですが、奥に新郎新婦と家族の席があり、それ以外の三方をぐるっと客席が囲みます。ほとんど席が埋まっていたので、かなりの人数だったと思います。わたしの先生はダラン科の先生なので、その他のダラン科の先生方もたくさんいらしていました。

 

会場には花がたくさん飾られ、新郎新婦の席もとても豪華でした。式が終わった後、しばらく見入ってしまいました。ワヤンの時の会場もそうなのですが、ジャワの人はいつもはそこにないものを一瞬にして作りあげてしまうので、驚かされます。左右にグヌンガン(ワヤンの人形の一つ)のモチーフがあるのも、先生らしいなぁと思いました。紺色に近いブルーに黄色の花をあしらった新郎新婦の衣装がとても美しかったです。新婦の細かな花の髪飾りが素敵でした。あらためて、ジャワにはキラキラしたものがたくさんあるなと思いました。そして何より、いつもお世話になっている先生と奥様がとても嬉しそうだったので、わたしも幸せな気持ちになりました。

 

新郎新婦の席の右隣にはガムランの生演奏があり、式中ずっと演奏をしていました。始まる直前、ウィルジュンのブダヤンやミジルウィガリンティアスなど知っている曲も多く演奏されていました。特にウィルジュンのブダヤンバージョンは芸大でも演奏したりしていたのですが、こちらで生で聴くのが始めてだったので嬉しくなりました。おめでたい!その後、ジャワ料理のフルコースをいただきながら、式を楽しんできました。

 

踊り手とともに新郎新婦とその家族が入場してきて、何か儀式を行っている間(カメラマンがたくさんいたのと自分の席の角度的に見えませんでした…)顔を真っ白に塗った(ちょうどワヤンオランの道化みたいなメイク)男女の踊り手がずっと首を振る動作をし続けていたのが気になりました。それが終わると、彼らはそれぞれ新郎新婦の席の左右にずっと座っていました。彼らはどんな役割なんだろう…

 

そのあとISIの先生が二人ご挨拶されました。その間中、新郎新婦の席には、代わる代わる重要なお客様が挨拶に訪れては、みんなで記念撮影をしていました。これ以外の場面でもよく感じるのですが、ジャワの人って本当に写真を撮るのが大好きなのですね…。

 

結婚式でよくあるガンビョン(踊りの名前)あたりが行われるのではないかと思っていたのですが、今日はガンビョンとは全く雰囲気の違うエネルギッシュな男女の踊りが二つ披露されました。以前、今日のために東ジャワの曲を練習していると友人に聞いたことがあったので、おそらく東ジャワの踊りだと思われます。なぜそれなのかは今度先生に聞いてみたいです。(お嫁さんのルーツがあるとか、そういうことなのかなぁと予想しています。)一つ目は踊り手が足に鈴をつけていたのが特徴的でした。黒と赤の衣装にキレのある振りがとてもかっこいい踊りでした。二つめは二組の男女がペアになって踊る舞踊で、特に音楽が中部ジャワと全然雰囲気が違うのが強く印象に残りました。ところどころ重音を使ったり、細かくスピード感のある旋律はバリのガムランに似ているようにも思われました。東ジャワはワヤンをはじめ、芸能がとても盛んな地域だといいます。音楽のエネルギーに、東ジャワの風を感じた気がしました。こういう、芸能に溢れた結婚式はジャワらしくて素敵です。

 

最後に、一人年配のおじさんがお話をして、式が終わりました。途中コーランの朗唱のようなことをしていたり、agama(宗教)がどうとか言っていたので、おそらくイスラム教に関するお話だったのでしょう。(ジャワ語だったので何を言っていたかはわかりませんでした。)途中、お客さん側から笑いが起きたり、話の内容について反応があったりしていたので、もしかしたら有名な話だったのかもしれません。このおじさん、立ったり座ったり、歩き回ったりしながら、時にはある方向の観客に畳み掛けるようにして話を進めていました。何を言っているかはさっぱりでしたが、観客の心を掴んでいることだけははっきりわかりました。

 

ジャワではこういう長々としたお話や、芸能を上演する前の演説をよく耳にします。それについてわたしは、おそらく、そういう「かたり」を大事にしている文化なのだろうと思っています。そして、それは大体いつもジャワ語で行われます。ジャワ語を理解できる若者が少なくなってきているということが問題視されてもいるようですが、大切なことは今もやはりジャワ語なのです…。ワヤンでもジャワ語で上演が行われるので、わたしも少しずつ勉強しているところですが、まだまだ難しいです。ジャワやワヤンにおける「かたり」というのはいつか取り組んでみたいテーマでもあります。ジャワにおける語ることの重要性や、大事なことはジャワ語でということをあらためて思い知らされた機会でもありました。

 

とても豪華な式だったので、ぜひ写真もご覧ください。ではまた!

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ワヤン練習

今回は自分のワヤン練習のことについて書いてみたいと思います。

 

わたしはスラカルタの芸術大学(通称ISI)で影絵芝居ワヤン・クリッの人形遣いダランの実技を学ぶ学科(jursan pedalangan)に留学しています。授業のことなどは機会を改めてまた詳しく書こうと思いますが、わたし自身も数年前からダランの実技を勉強しています。留学自体は今回が初めてで、まだ2ヶ月目なのですが、11月の頭に大学でHari Wayang Dunia(世界ワヤンの日)というイベントがあり、そこでわたしも30分程度ワヤンを上演することになりました。ハンガリーから来た留学生の女の子も一緒です。彼女は出陣の場面を、わたしはポノカワンとアルジュノの場面とチャキルとアルジュノの戦いの場面を担当します。

 

聞くところによると、会場はISIで一番大きなプンドポ(伝統的な建物)で、しかもプロの演奏家が伴奏してくださるとのことなので、嬉しい反面、わたしなんかでよいのかという気持ちもあり…今からとてもドキドキしています。でも、ついにプンドポデビューということなので、楽しめるようにますます頑張りたいと思います。

 

というわけで、最近はこの本番のために週に3回、夜に大学に集まって練習しています。先程も練習をしてきたところです。

ダラン科の学科長の先生が、留学生を集めた練習をしてくださっていたのがワヤン練習の始まりだったのですが、最近は一般の学生もたくさん手伝いに来てくれてガムランの伴奏をしてくれます。ここ2週間ほどで本番に向けた練習が盛り上がってきています。

 

練習では、マイクをつけて音楽と合わせながら自分が発表する場面を通します。いつもは先生と2人で個人レッスンなので、ガムランの拍を意識しつつ数えたりしながらイメージトレーニングをしてはいるのですが、いざ生のガムランと合わせてみると、慣れない状況に戸惑ったり、人形の手が引っかかったり、ある動きをうっかり忘れてしまったりと事故が起きたりもします。通すたびに、毎回色々なことを反省します。それでも、わたしの動きに先生や友人が太鼓で合わせてくれるのがわかって、そういう相互作用を実感できるのが、生で練習をする醍醐味だと感じます。折角の機会をいただいたので、本番まであと2週間ちょっと、丁寧に完成度を上げていこうと思います。

 

わたしがレッスンでついているワヤンの先生もも学科長の先生も、わたしが少しでも間違えたり気になるところがあると、そこを取り出して何度も何度も懇切丁寧に教えてくださいます。(ここは現地の学生と違うところだと思う。)学生さんたちも他の練習で結構忙しいらしいのに、毎回練習に来てくれる子たちがたくさんいて、ジャワの人は本当に親切です。しかも終わるたびに毎回みんな拍手してくれます。(なんて優しいんだ…。これに恥じない公演をしたいです。)学生の中にも、合わせるのは初めてなのに、いきなり太鼓やグンデルができる人もいて、学生のスキルの高さに日々驚かされています。また、練習の合間に学生さんたちと仲良くおしゃべりをすることが増えてきたのが、最近とても嬉しいです。

 

ハンガリー人の女の子は、カラウィタン科(ガムラン演奏)に留学しているのですが、留学生のワヤン練習に参加するようになり、先生から今回のステージに大抜擢されました。ワヤンもガムランも初めてだという彼女ですが、始めて2ヶ月足らずで立派に出陣の場面をこなせるようになってしまいました。歌を歌ったり、台詞を言ったりもしています。覚えるのが速くてびっくりです…。以前よりは人と比べてわたしはどうだとか考えなくなったけれど、(もちろん彼女も相当頑張っているのだと思いますが)こういうのを見てしまうと、つい不器用な自分に目がいってしまうことも…。

 

そこで少し考えてみました。わたしはわたしで、アルジュノさんがチャキルを倒すところまで音楽と合わせて通せるようになりました。確か半年ちょっと前にランバンサリでミニワヤンをやった時、「この続きをお楽しみに!」と言ってワヤンを終わりにしたのですが、その続きが完結したということです(^^) 先生がおっしゃるところのCakil mati です!(チャキルが死ぬという意味。)

 

そうだ、わたしはわたしなりに前に進んでいるのだ。

 

ジャワに来て知ったのは、言葉もわからずに、インドネシアに来るヨーロッパの留学生が結構たくさんいるということ。何もかもが新しいということはある面ではとてもいいことだと思うし、きっと色々なものを収穫して帰るのだろうし、彼らの勇気は本当に素晴らしいと思います。自分の専攻以外にも興味をもち、色々な芸能にチャレンジする友人がたくさんいます。

そういうエネルギーに圧倒されそうになるけれど、わたしはどちらかというと自分のやりたいことを腰を据えてじっくり勉強したいという気持ちがあるので(留学してワヤンを勉強したいとずっと思ってきたわけだから)ほかの留学生から良い刺激を受け取りつつ、マイペースで頑張りたいなと思う最近です。自分の軸をしっかり持たないといけないなと実感するようになりました。

 

実際、今までの経験や先輩方が教えてくださったことにかなり助けられていて、これも日本にガムランの豊かな演奏の土壌があるからなのだろうと実感しているところです。このことに感謝しつつ、半年前のミニワヤンの続き、これからどれだけクオリティを上げられるか、どれだけレパートリーを増やして日本に帰れるか、これからもチャレンジを続けたいです。

 

また書きますー(^^)

(わたしとチャキルの写真は友人が撮ってくれました)

 

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近所の文化祭で

イベントの街としても知られているソロですが、土日の夜は特にイベントがたくさんあります。今日は住んでいる場所のすぐ近くのクプラボンというところで地域の文化祭があり、それを観に行ったことについて書きます。gelan budaya keprabonというイベントで今日から数日続くようです。

 

最初にガンビョン・パンクールという伝統的なジャワ舞踊があったあと、色々な民族衣装をまとった子どもたちの合唱がありました。(これが振りがついていてとてもかわいかった…。そしてピアノ伴奏の人がよく間違えていたのが気になった笑。)ワヤンの舞台でもよくあるのですが、ジャワでは子どもや技術的にまだ未熟でも構わず舞台にのせて発表させることがあります。こういうところは日本との大きな違いかなと思います。

 

そのあと女の子たちによる舞踊が2つありました。伝統的な舞踊を取り入れているとのアナウンスがあったけれど、(聞き間違えていなければ)伴奏曲はシンセサイザーによる西洋の音楽語法にガムランの音を加えたもの。加えたと言っても飾り程度なのでほぼ西洋音楽と言ってよいと思います。衣装もドレスみたいにひらひらしていました。ふたつのグループとも振りが大きく、腕を高く上げたり回ったりしてダイナミックでした。それを考えると衣装のデザインは効果的なのかも知れません。

そういえば、スピーカーからかなり大きな音が流れていたのは東南アジアならではだなと思いました。(この地域の人たちはイベントの時の音楽を大音量で流したがる傾向があると本で読んだことがあります。)

 

次にガムランに伴奏される古典的な舞踊Banbangan dan Cakilがありました。これは《マハーバーラタ》の一場面でパンダワ五王子の三男アルジュノと鬼のチャキルが戦う場面を表したものです。ちょうど今わたしがワヤンで練習中の場面だったので興味深く見ることができました。やっぱりチャキルは舞踊でもカクカクとした特徴的な動きをするのだななぁと、ワヤンや舞踊の見方が少しでも分かると面白さが倍増するものだと感じました。

 

最後にIbu-ibu(一般のおばちゃんたちが参加する)グループの演奏も聴きました。Suwe Ora Jamuという日本でもおなじみの曲を演奏してしました。途中お笑い芸人らしきおじさんが横から現れて曲に合わせて踊り始め、しばらくすると別の芸人も加わり、面白いことを言い始めたようです。途中でお笑い芸人が現れるのは実はワヤンでもよくあることですが、近年、全体的な傾向で、観客がこういった演出を求めるようになってきているのだそうです。

 

今日も色々なものを見ることができましたが、一つ思うのは芸能の身近さ。踊りを踊っていたのはみんな20代くらいの若い女の子たちばかりだったし、子どもたちにも発表の機会が用意されていました。そして、舞台に出ない子どもたちも会場の周りにたくさんいて、興味深そうに舞台を観ている子や、真似をして歌ったり踊ったりしている子もいました。さらにはIbu-Ibuのグループもあり、実際こうしたグループはそれぞれの地域にかなりたくさんあるのですが、色々な人がガムランに触れる機会がたくさんあるということがとても素敵だと感じます。日本にいると芸能、とりわけジャワでいうガムランにあたるような伝統芸能は一般の人々にとっては敷居が高いものだと思うのですが、ジャワではこうしたイベントが開かれることはよくあることで、幼い頃から芸能に触れるチャンスが多いというのが魅力の一つだと思います。“人々と芸能の距離の近さ”はわたしがジャワに惹かれた理由の一つでもあります。

 

一方で、伝統の変化というものも感じます。西洋的な音楽と新しい舞踊や衣装はその例で、ジャワの人は新しいことを自分の文化に取り入れることを積極的に行なっています。また、伝統的なガムランや舞踊よりも、観客の興味関心に迎合し、お笑い芸人が登場するということも変化の一つと言えるでしょう、

わたしは、変化が起きることも新しいものが生まれていくのも悪いことではないし、そういうクリエイティブな姿勢は素晴らしいことであると思います。それはジャワ人の良いところであるとも思います。一方で、今後伝統的なガムランやワヤンがどのように変わっていくのか、また人々に受容されていくのかというのが、今いちばん気になるところであります。その意味で今は芸能は大きな変化の時にきているのかなぁと。次の機会にどんな芸能に出会えるかがとても楽しみです。

 

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ワヤン上演のこと②

前回からちょっと間が空いてしまいましたが、(というのは、最近毎日のようにワヤンを観に行っていたからなんです…。)相変わらず元気です(^^)

 

いくつかワヤンがあったのですが、今回も二つのワヤンをレポートします。(留学が終わるまでに何回レポートできるだろうか…?)週末土曜と日曜に二晩続けてワヤンがあり、幸運なことに二つとも売れっ子ダランでした。一つはマンタップ・スダルソノKi Manteb Soedharsono 、もう一つはプルボ・アスモロPurbo Asmara によるものでした。

 

マンタップさんのワヤンは、ワヤンの街クラテンというところのフェスティバルの中で行われたものでした。これは、1970〜80年代に活躍したダラン、ナルトサブドを偲んで行われたものだそうです。

楽器のすぐ後ろで観ていたのですが、気になったのは楽隊の人たちがみんな何枚もの楽譜の束を携えていたこと。即興で曲が決まるものなので楽譜によらないのが本来のやり方なのですが、音楽の付け方は相当作り込まれているように感じました。また、ガムランの音階も一つの音階しか使わないというのが基本のスタイルですが、二つの音階を頻繁に変えながら上演を進めていたというところにもそれを感じました。(事前に打ち合わせをしておかないと、頻繁に別の音階の楽器を使うのに対応するのは難しいのではないかと思います。)それで、結果的にかなりたくさんの楽曲を使っていて、変化に富んでいて聴いていて面白かったです。

 

その中で、マンタップさんがよく取り入れている、中間部でのジョクジャカルタ様式の使用や、ダイナミックな人形操作もあり、マンタップさんらしさもきらりと光る上演でした。人形が色々な方向へ飛ばされていたのでダランの助手が大変そうでした…。最近自分でも戦いの場面を練習しているのですが、小さな人形を戦わせるだけでも相当な技術がいるのに、大きな鬼の人形を軽々と戦わせていたのは圧巻でした。(マンタップさんは人形操作の天才として有名なダランでもあります。)

最近の傾向だと、多くの上演で、最後のマニュロの部分ではひたすら戦いの場面でサンパという短い形式の楽器が鳴り続けていることがしばしばあるのですが、今回は戦い続けるだけでなく、随所随所に語りもしっかり入っていました。

 

音楽の使い方、人形操作、語りとやっぱりオールマイティーだなぁ、さすが大御所だなぁと改めて感心してしまいました。今年70歳になられるのだそうです。それでいて一晩の上演をエネルギッシュにこなすマンタップさんは本当に素晴らしいと思います。(彼の人形操作があまりにも鮮やかで、DVDを観ながら泣いてしまったことがあるくらい好きなダランです。)

 

余談ですが、クラテンまでは友人のバイクの運転で行きました。1時間半くらいかかったかな。インドネシアではバイク移動が主流なのですが(わたしは怖いので運転はしませんが)バイクの後ろに乗るのはとっても気持ちがいいです。その途中、ワヤン会場までgoogle mapに従って進んでいたはずなのに、気がついたら一度通り過ぎたはずの場所に戻ってきてしまったことがありました。とても驚きましたが、ワヤンのかみさまのいたずらかもしれません…。

 

二晩続けては初めてだったのですが、翌日も観に行ってしまいました。ここからはプルボさんのワヤンについて書きます。

 

芸術大学のダラン科に通い始めて1ヶ月がたったのですが、今は基本をしっかりと学んでいるところです。ワヤン上演の進行には一定の型があります。プルボさんの今回の上演は、最初長めのスルック(またはモチャパットかもしれません)で始めるというところは少々意表をつくものでしたが、そのあとはしばらく基本の型通りに上演が進んでいきました。大学の授業で習ったシーンを見るたび、嬉しくなりました。大学に行くようになって、見えるもの聞こえるものが大分増えたのでワヤンに行くのがますます楽しくなってきた気がします。

 

リンブアンという娯楽の場面あたりまでは定型通りに進んでいたのですが、そのあとは徐々に定型とは異なるスタイルになっていきました。(創作と思われる曲が使われたりなど。)

 

特にヌムの場面(第一部)が4時間超えと異常に長いのが気になりました。リンブアンが終わったあともとても長かった…。

さらに、パテット(旋法)をまたいでおなじ曲が使われていたことがあり、興味深いなと思いました。卒論を書いた時から三つの場面がアンバランスになる傾向があることがとても気になっていたのですが、これは顕著な例です。

 

スルックの節回しも聞きなれないものがいくつかありました。スルックの節回しについてはそれぞれどんなルーツがあるのか、ダランがどのように取り入れているのかなどいつか研究してみたいなと思っています。

 

プルボさんは最初から最後まで定型通りの上演をすることもあり、また時には、それにはまらず、ハイライトを取り入れるなど工夫を凝らした上演をすることもあり、時と場合によってスタイルを変化させることができるダランです。色々なスタイルはやはりしっかりとした基本の型の上に成り立つものなのだろうなと感じました。

 

二日間ともわたしのグンデル(楽器)の先生がグンデルを担当していました。二晩続けてなんて、ジャワの音楽家は本当にタフです。

先生はよくワヤンの時のグンデルの弾き方のコツについて話をしてくださいます。まだレッスンは始まったばかりですが、ワヤン会場で先生の音に確かにそのエッセンスが散りばめられているのを聞くことができました。よくダランの様子をうかがって、音型を選んで弾いているということを先生は話していますが、そう思いながら聞くと、ますますグンデルはすごいなぁと思わずにはいられないのでした。

 

次回は何か上演以外のことにスポットを当ててみたいと思います。

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ワヤン上演のこと

最近ふたつのワヤン上演を観に行ったのでこちらのワヤンの様子について書きます。

 

わたしが勉強しているのは水牛の皮をなめして彩色した平面の人形を使うワヤン・クリッという芸能です。ダランと呼ばれる人形遣いと伴奏音楽ガムランから成ります。題材となる物語はインドの古代叙事詩《ラーマーヤナ》や《マハーバーラタ》です。ダランはよく人形遣いと説明されるのですが、実際は人形操作に加えて、同時に全ての人形の台詞や物語を語ること、さらには上演全体の進行を司り、伴奏音楽の構成も行います。音楽についてはダランが上演中に様々な手段を使って指示を出し、それらや語りは多くの場合即興で行われます。上演は一般的には21:00から翌朝3:00か4:00まで、一晩続きます。その間中、ダランは休みなく上演を続けるのです。わたしはこのダランの多様な能力にとても興味があり、ガムラン音楽とともに研究対象にしています。

 

ワヤンは結婚式や誕生日などの祝い事やお祓いなど様々な文脈で上演されます。ワヤンの会場は露店が並んだりもしてさながらお祭りのようです。誰でも無料で観ることができます。ワヤンの会場には子どもから大人までたくさんの人で溢れています。時にはお茶や食べ物まで出てくることも…!こちらはすべて主催者が料金を負担しているそうです。

 

↑というのがワヤンのざっくりとした紹介です。わたしはワヤンの会場の雰囲気も音楽も大好きで、ワヤンがあればあちこち観に行くという生活をしています。

 

まず10/8(月)にKi Cahyo Kuntadi というダランのワヤンを観に行きました。場所はPalur というわたしの大学から15分ほどのところ。

スピーカーがものすごくうるさかったことと(でもこれはワヤンの会場あるあるです…)本編とは関係ない娯楽の部分がとても長かったこと(おそらくスポンサーが多くてその紹介に時間がかかったいたようです)が少々残念でしたが、音楽の使い方がとても工夫されていて、とても興味深く楽しむことができました。

最近の傾向としては、創作曲短い形式の楽曲を何度も使うことが多いのですが、古典的な形式の曲が多用されているように感じました。また、ソロの様式に加えて、ジョグジャカルタの様式の楽曲も複数あり、日本で自分がワヤン公演に参加した時に用いられていた曲が登場した時はとても嬉しくなりました♪ ジョグジャの形式を取り入れるのはたまに見かける手法なので、もしかしたら最近のトレンドなのかもしれません。

次の日朝の7:30から授業だったので最後まで観られなかったのが残念です。(こちらの1限はめちゃくちゃ早いです…!)でも最後まで観た友人曰く、4:00頃まで盛り上がったのだとか。

 

本日(10/9(火))観たのはKi Jlitheng SuparmanというダランのWayang Kampung Sebelah(これはワヤンのジャンル名)このワヤンはテレビ番組から生まれた新しいタイプのワヤンで、人々の日常を風刺したものだそうです。今日のダランのSuparman はこのジャンルを確立した中心人物の一人で、テレビだけでなくこうして舞台でも上演されます。

人形が一般的なワヤンに比べてより人間に近いかたちをしているのに加えて、音楽もガムランを使わず、西洋楽器とジャワの太鼓で構成されています。

こちらは初めて観るのですが、 人形の動きや音楽を前面に出すと言うよりかは、ダランが登場人物のいずれかを使ってずーっと喋り続けているという印象です。言葉はジャワ語とインドネシア語を混ぜているみたいです。詳細はきちんとわからないのが歯がゆいですが…(!)ダランの語りに、子どもから大人まで会場中が大盛り上がりなので、面白いことを言っているようです。こういう面白いことを言って会場を沸かせることができるということもダランの重要な能力の一つと言えます。ジャワにいるあいだにこういう珍しい様式のワヤンもたくさん観られたらいいなぁ。

 

二つの上演は雰囲気が全然違うのですが、ジャワには後者のような新しい様式のワヤンもいくつか存在しています。また前者のようなワヤンの中でも、創作曲を使ったり、地方の様式が取り入れられたりもして、新しい試みや変化に対して寛容であるというのがジャワの特徴なのかもしれません。

 

ワヤンはこれからもよく観に行くことになりそうなので、引き続きまた紹介していきたいです!

 

ではまた(^^)

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