mainichiwayang’s diary

ジャワでダランとガムラン修行中の大学院生です:)

レッスンのこと、わたしが外国人であるということ

またまた久しぶりになってしまいましたが、今回はわたしのレッスンの様子をちらっと。なぜなら最近気づいたことがあるからです。

 

わたしは留学先の大学で影絵芝居の人形遣い(ダラン)を勉強しているのですが、授業だけだととてもついていけないので(学生はみんなすでにできる人ばかりなので進むのがものすごく速い)定期的に、大学の先生に個人レッスンを受けています。レッスンでは、2時間半ほど人形操作や、ダランの歌、合図の出し方などを先生が教えてくださいます。先生が人形を使って横でお手本を示し、それをわたしが真似し、覚えていくことでレッスンが進みます。慣れてくると、先生が太鼓やグンデルに入ったりして音楽との関係の説明も受けます。学生と違って、経験が少ないので習得するまでにはやはり少々時間がかかりますが、先生がわたしができるようになるまで根気よく懇切丁寧に教えてくださるので、ありがたいです。時にはレッスンが3時間近くに及ぶことも。

 

レッスン自体は2年前から短期でジャワに行った時に集中して受けるというような形で続けてきたのですが、最近変わったなと思うことがあります。

 

一つは自分のことなのですが、先生の言っていることをよりスムーズに理解できるようになってきたことです。2年前、レッスンを始めた頃は、何言ってるかわからないけど、とりあえず先生の真似をする…というような状態でしたが、最近はここはどういうシーンで、動かす時のポイントは何で、さっき自分は何を間違えたのか、何が足りなかったのかなど、先生のインドネシア語の説明を理解して、それに従えるようになりました。最近は先生が隣にいなくても、わたしの後ろで人形の動かし方を説明をしただけで、その通りに動かせるようになってきました。

 

こういう変化があったこともあってか、最近先生も色々なことを説明してくださるようになりました。その中でも大きく変わったことは、以前よりも音楽との関係を詳しく教えてくださるようになったことです。人形は自由に動かしてよいわけではなく、人形の動きにはガムランの中の太鼓のリズムと関連した振り付けのようなものや、ゴングやその他重要な拍と関連があり、ダランにとって音楽との関連を理解することは不可欠なことです。先生は、最近以前にも増して音楽と動きの関係をより厳しく教えてくださるようになりました。これは、わたしがダランの実技を学ぶ中でいちばん知りたいことなので、とても嬉しいです。

 

少し話が逸れますが、最近考えていたことがあります。それは「わたしが外国人であるということ」です。

 

留学するということは、自動的に外国人が異文化の中で勉強をするということで、これはどこに行ったとしても、当たり前と言えば当たり前で、当然のことすぎて全く意識をしていませんでした、つい最近までは。

 

最近、折に触れてジャワの人たちと接する中で「ああ、彼らにとってわたしは外国人なんだ。」と感じさせられる機会が増えてきました。というか、ジャワに来た時から、そういうことはたくさんあったのかもしれないけれど、より以前より強く意識させられるようになったというか、彼らとわたしの間で、わたしというものについての認識についてギャップがあるなと思うことが増えてきました。

 

大学の授業で毎日顔を合わせる同じクラスの友人たちや、先生方とは、あいさつだけでなく、色々な話をするようになってきて、大分距離は縮まってきたと思っています。わたし自身は。

 

最近大学で試験があり、こんなことがありました。

 

ジャワ語の発音や、ワヤンの登場人物や語りの声の様式について学ぶ授業(caturという科目)があり、その時は試験について説明をしていました。現地の学生たちは、台本を一冊暗記し、当日指定されたところを演じてみせるというのが課題とされました。わたしにも試験が課され、わたしは暗記はしなくてもいいので、好きな場面を読むことになりました。さすがに、正直今のわたしの力では現地の学生と同じレベルで試験を受けるのは難しすぎるので、このような配慮はありがたいなと思いました。

ただ、その時、先生がわたしのために説明を全部英語でしてくださったことが、丁寧な対応なので、こちらもありがたいと思う一方、少し引っかかるところがありました。その前に先生が試験について説明していた内容は理解できていたので…(そのあと英語を聞いても内容は一致していました。)確かにインドネシア語がまだ難しい留学生も多いけれど、わたしがインドネシア語がわかることは、現地の学生も先生方も知っているはずなのに。

先生はそのあと英語で、「昔オーストラリアから来た学生がいてね、〇〇の近くに住んでいてね、ジャワ語もわかっていてね…」と続けました。

 

ああ、ジャワ語の壁か…。

 

毎日ジャワ語を聞くようになって、自分でも勉強を進めているので、特にngoko (敬語の体系の分類)は大分聞こえるようにになってきました。ただ、まだまだ道のりは遠いのが現状。

 

ジャワ語ができないと、やっぱりまだまだ先生にとってはお客さんに近いのかなぁと。

 

距離は縮まってきたけれど、ジャワ語があることで、ジャワの人たちとの間にまだ一枚壁があるのだと感じます。人々の中に入っていくのは、一筋縄ではいかないなと、頭ではわかっていたつもりでしたが、ようやくこういうことなのだと実感しました。まだまだ修行が足りないな。

 

そういえば、この前舞台でワヤンをやった時も「Dalang orang asing 」とプログラムに書かれていたなと。これは「外国人のダラン」という意味です。練習の時、わたしがあまりうまくできていない時も現地の学生たちは「もうとっても上手だね!」と褒めてくれたのですが、まだまだ多分自分の伝統芸能を外国の女の子がやっていることがすごいというニュアンスも含まれているのかなと思ったりしました。

 

距離を縮め、もっと深く知りたいと思う自分と、まだまだわたしをお客さんというか「外国人だから」と認識しているジャワの人たちとのギャップ。

 

こういうことがあって、最近一層意識して言葉を勉強するようになりました。その甲斐あって、ワヤンのレッスンがスムーズになってきたり、さっきグンデルの先生と宗教の話をしたりなど、少し込み入ったことも雑談できるようになったのは嬉しいことです。

 

そういう壁のようなものを感じる中、いちばんわたしに分け隔てなく接してくださるのが、レッスンに通っている、ワヤンの先生です。留学生は試験を受けなくていいことになってはいるので、わたしも初めはそのつもりでいたのですが、ある日大学で先生にお会いした時、「きみも実技試験を受けなさい。好きな場面を選んでいいから。」との指令があり、試験を受けることになりました。実際、好きな場面というよりかは先生の判断で、(それでも全然やったことがない)一番最初の場面を1月に試験で上演することに…。本番1ヶ月前を切っているのに、ゼロから初めてもなんとかなると考えてしまうあたりが、びっくりです。このあたりは日本人と認識が違うかなと思います。ですが、頑張ってマスターしようと思います。というわけで、最近はその準備に追われています。

 

しかも、「台本は暗記すること!」と言われてしまい、ジャワの学生と待遇は全く同じになったものの、語りが多い場面なので大変になってしまいました…。

でも、先生の対応は本当に嬉しく、ありがたいです。

 

特別扱いはちょっと悲しいけど、みんなと同じは嬉しくて、でも難しい…少しわがままかもしれませんが、そんなことを思っている最近です。

 

ジャワ語の壁はまだまだ厚いですが、まだ時間はあるので、少しずつ壁を取り払っていけたらいいなと。長期で暮らすということは、現地の人とより深く関わっていくことなので、距離感などうまく考えながら、より色々なことを彼らから学んでいけたらと思います。

 

最後にいくつか写真を。

f:id:mainichiwayang:20181231165915j:image

大学の実技の授業の教科書です。台本と人形操作の手順、ダランの歌の楽譜が載っています。


f:id:mainichiwayang:20181231165911j:image

お手本を見せてくださっている先生。いちばん最初のシーン。


f:id:mainichiwayang:20181231165904j:image

難しいからと、最初は先生が教えてくださらなかったのですが、ついに人形が馬に乗るシーンを習いました。


f:id:mainichiwayang:20181231165907j:image

ジャワのおじさまたちは鳥を飼うことにある種のステータスを感じているそうなのですが、先生の家も鳥だらけです。かわいい。

 

読んでくださってありがとうございます。

また書きます…💕