mainichiwayang’s diary

ジャワでダランとガムラン修行中の大学院生です:)

バリ島旅行記① ー北部編ー

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少し時間が開いてしまったのですが、先月末にバリ島に旅行に行った時のことを少しずつ書いていきたいと思います。今回は初日にバリ島北部の村に行ったことと、その近くでダランにお話を伺ったことについて書きます。

 

日本ではインドネシアというと、どちらかと言えばわたしのいるジャワよりも、バリの方が有名かもしれません。バリの南部には有名なリゾート地がたくさんあり、旅行したことがある方も多いのではないでしょうか。では、なぜわたしがあえて北部に行ったのか。それは、今回の旅の目的が、学部時代の同級生に会うことだったからです。彼女は、バリ島北部の村のろうのコミュニティについて研究しているそうです。まさかインドネシアで会える日が来るとは思ってもみなかったので、とても感慨深いものがありました。

 

気がつけばジャワにばかり行っていたわたしは、バリを訪れるのは今回が初めてで、初めて降り立ったバリで最初に感じたことは、空の色が違うなということでした。同じ国にいるのに、なんとなくにおいも違うし、街にヒンドゥー寺院や石像がたくさんあるのも、道端でペンジョール(長い棒状のお供えのようなもの)をたくさん見るのも、新鮮で興味深いと感じました。知識としては知っていたけれど、改めて多様性の広がる国なのだということを実感しました。

 

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これはウブドで撮ったもの。道に突然こういう像が現れるのも独特だと思う。

 

 

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ペンジョール

 

デンパサールの空港近くから車で移動すること約3時間。山をだいぶ登った先に、目的地の村はありました。決して便利とは言えないけれど、緑が多くて、どことなくわたしの実家の田舎に似ていて、好きだなと思ったのが第一印象でした。

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北部の村で撮った写真。自然豊かで、本当はこういうところの方が好きなんだよなと。

 わたしの友人はここでろう(耳の聞こえない方たち)のコミュニティについて取材しているといいます。彼女がインドネシア語を始めたのはわたしよりもずっとあとなのに、もう立派に村の人とコミュニケーションを取っていて(しかも後述する手話も勉強していて)、少しでも道を歩けば子どもから大人まで色々な人に声をかけられている彼女の姿を見て、改めて尊敬の念を抱きました。少しだけ、ろうの方々にもお会いしたのですが、ここでも独自の手話があり、話をしている様子を見ることができました。デリケートなことではありますが、わたし自身障害をもつ方とアートとのかかわりにもとても興味があるので、インドネシアの中でこのようなコミュニティに出会えたことは貴重な経験になりました。小さな村ということもあってか、人と人との距離がより近いような印象を受けました。

 

その後、友人と南部に向かいつつ、以前友人と先生が訪れたという、村の近くのダランの家を目指しました。突然だったにもかかわらず、ダランとご家族の方が快く迎えてくださり、しばらくの間お話を伺うことができました。

 

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ダランのSudarmaさん。活き活きと人形のことを説明してくださった。

月並みなことをいいますが、ダランって人形を持っている時がいちばん活き活きするよなあと。「人形を見せてください。」と言ったら箱からどんどん出して説明してくださいました。好きなことを目の前に、キラキラしている人を見るととても幸せな気持ちになります。インドネシアに来てから、そういう瞬間にたくさん出会えて幸せです。(多分わたしも気持ちが高まってキラキラしてたと思う。)主にジャワのキャラクターとバリのキャラクターの違いについて。言われてみればなんとなく似ている部分もあるけれど、やっぱり全然違うので、ジャワとバリとの違いをワクワクしながら聞きました。キャラクターの設定も少し違ったりするのだそうです。でも特徴的なところは同じだったりして(ユデディスティロの後ろ髪カールのかたちとか)面白いなと思いました。

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例えばバリのビマとジャワのビモ。同じキャラクターでもこんなに違う。

 

 

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わたしもにやにやがとまらない。

 

まだバリのことは全然詳しくないのですが、どうやら北部と南部でも大分違うということでした。

 

後半は、工房を見せてくださり、ワヤンを作る様子を紹介してくださいました。以前少しだけジャワのワヤンを彫る様子を見たことはあったのですが、切り出す前の大きな皮や、彫ったあとに人形を削って滑らかにする様子など、実際に見るのは初めてだったので、見せていただけてよかったです。ジャワでは人形を作る人とダランは別の人なのですが、バリではダランも人形を作るとおっしゃていました。そう語る姿はとても誇らしげでした。

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家系の話もされていて、今は確かにダランになるために大切なことは全て学校で習えるし、ダランになることはできるけれども、タクスーtaksu(芸術の中に宿る超自然的な力、卓越した才能)は家系のダラン(keturunan)にしか宿らないというようなことをおっしゃっていました。時代は変わってきているけれども、やはりダランの世界における家系というものは揺るぎない力を持つものなのだなと再確認しました。

 

ジャワとバリの音楽の違いについて、こんなこともおっしゃっていました。

 

「ジャワの音楽はとてもゆっくりだから、簡単だよ。バリの人はすぐできちゃうだろうけど、ジャワの人がバリの音楽をマスターするには相当時間がかかるね。」

 

これはジャワの音楽を学ぶ身としては正直疑問ですが…。

(多分、わたしがジャワの音楽をやっているという話をしたのでそういう話になったのかもしれませんが。)

 

バリとジャワでは目指す音楽の方向性が全然違うように思います。確かにバリのグンデルワヤンやゴング・クビャールに比べると、ジャワの音楽はゆっくりに聞こえるかもしれません。(実際わたしはそういうところに惹かれてジャワの音楽を始めました。)しかし、ジャワのガムランを実際やってみると、かなり精巧に作り込まれた音楽の仕組みが隠れていて、聞こえるもの以上に音楽家同士が知識や技能を持ってやりとりしなければ成り立たない音楽なのだなと思うのです。だから、ゆっくりに聞こえるから簡単とか、それは一概に言えることではないと思います。

 

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ただ、一つ言えることは、それだけ彼ら自身が、バリのダランたちが、自分たち自身の音楽やワヤンを誇りに思っているということではないかと思います。 そういう誇りとか、自信を芸能の担い手自身である彼らがしっかり持っていることは、本当に素晴らしいことだと感じます。お話の端々に何度もそういうバリ人の誇りみたいなものが感じられて、わたしも胸が熱くなりました。

 

こういう音楽家や芸術家のパッションに触れられる機会に出会えるのが、日本を飛び出してきてよかったと思うことの一つです。わたしもどこまでできるかわかりませんが、まだまだ修行を頑張り、アツい人になりたいです。

 

 

次回も引き続きバリのことを書きます!Sampai ketemu lagi ~ :D